林芙美子「摩周湖紀行」ー弟子屈町

旅好きな林芙美子が釧路から摩周湖に向かったのは、昭和9年6月のことでした。芙美子31歳。弟子屈の近水ホテルに一泊した彼女は、次の朝ホテルの人の案内で自動車に乗り摩周湖に向かいました。

「釧路の驛へ行くと、午後三時半の網走行きがあつたので、その汽車へ乘る。こゝでは角大旅館で遇つた藤井と云ふ若い婦人記者のひとが私と旅を共にすると云つて合財袋を持つて一緒の列車に乘つて來たが、いゝ人達の親切は斷りの仕樣もない。
 窓外は茫寞たる谷地で柏の木が多い。標茶しべちやの驛あたりより驟雨になつた。車内では川湯温泉の驛長さんが乘り合はしてゐて、色々な旅の話に興じた。

摩周ましうの湖は、すぐ霧がかゝつてしまうので、運がよくないとなかなか見られませんよ』

 今日はとても見られまいとの話で、弟子屈てしかが温泉に泊ることにする。

「摩周山は海拔三百五十米位で、湖の深さは二百米ばかりあるとか聞いた。摩周山の中腹から見える湖の姿はぽつんと鏡を置いたやうであつた。此鏡のやうな湖心にはカムイシユと云ふ黒子のやうな島があり、まるで浮いてゐるやうであつた。
去來する雲の姿が露西亞ロシアの映畫のやうに明るく見えて、波一ツない靜けさである。湖の向うには摩周の劔のやうな頂上が雲の中へ隱れてゐるやうに見えた。
湖岸は降りてゆくにむづかしい絶壁で、遠く地底に眺める湖だけに暗く秀いでゝゐる。紅鱒やザリガニを放つてあると云ふことだが、あんまり波がないので、死んだ湖のやうに見える。足元は熊笹と白樺の若木で、風が下から吹きあげて來た。」

「晝間の汽車にはまだ間があるので、支廳へ行き、先住民族の古跡を歩いて釧路の郊外にある春採湖はるとりこへ行つてみる。
 春採湖は、摩周湖や屈斜路湖と違つて、ひどくアイヌ的で、ひなびてゐて賑やかな湖であつた。
 私は此一月あまりの北への旅で、何だか、湖と平野と沼地と森林ばかりを見て暮らしてゐるやうだ。陽氣になりつゝある。知らない土地で遇ふ人達は案外肥つた方ですねと云つてくれる。十一貫の小さい私が、一貫目もふえたのだから、どつかへ肉がついたのだらう。平野と湖を眺め暮らし、宿屋では牛乳と鮭と蕗ばかり。この一ヶ月は、私を樂天家にしてくれたのかも知れない。生きてゐることは愉しいことだ。