子母沢寛「花の雨」ー函館市

子母沢 寛 しぼさわ かん

子母沢寛が箱館戦争を生き生き書いているのには、祖父・梅谷十次郎の影響がありました。
それについては下記に連載で書いてあります。

ブログ「厚田村から」

 

 

 

「日の全く明けるのを待って、陸軍隊は、怒涛の進撃をつづけて、五稜郭を侵入した。一発の砲声も聞かなかったが、即ち完全に占領して終う事が出来た。/
星形に本丸を取り巻いた濠には厚い氷が張り詰めて、大百姓の母屋を建て上げた煙山し窓のようにも見える本丸の高い屋根にも、そちらこちの樹々の梢にも雪が積って、きらきら輝いている」

「箱館軍は(明治二年)五月十八日に五稜郭占拠以来八ヶ月で完全に降参した。土方歳三も戦死したし、あの日の朝、榎本総裁、副総裁松平太郎、海軍奉行荒井郁之助、陸軍奉行大鳥圭介の四人が五稜郭を出て敵の軍門に降った悲壮な光景もまだまざまざとみんなの眼の中に焼きついている。先頭に立つ者の白旗をささげたその旗の白さが忘れられない」

箱館戦争については、土方歳三の死が降伏に繋がったと思われます。榎本は土方の死を聞き、二砲台が落ちることを知ると腹を切ろうとしたが、部下に止められ五月十七日、榎本は政府軍の参謀黒田清隆の軍門に下りました。

土方の活躍は政府軍の死傷者数にあります。
箱館戦争は榎本軍約3000人に対して、政府軍は7000人強でした。
死傷者は政府軍770余人に対して榎本軍は800人。倍以上の兵士での戦いで死傷者は五分でした。降伏者は1300人、後は行方不明となりました。