金田一京助「室蘭王」ー室蘭市
アイヌ語研究の第一人者金田一京助は、石川啄木の親友でもありました。
明治39年7月、24歳の時にアイヌ語の実地踏査を目的として一回目の北海道でした。
室蘭に上陸して、有珠、虻田、幌別、白老、鵡川、富川を経てアイヌの都平取に入ります。
この時に、東大の同窓栗林の兄が室蘭の実業家で大変お世話になったことから「室蘭王」の随筆があります。
栗林 五朔(くりばやし ごさく)
慶応2年5月1日(1866年)–1927年(昭和2年)
戦前日本の実業家、政治家。
新潟県三条市出身。室蘭市で物流事業を起こし、栗林商会、栗林商船等を創立。「北の海に栗林あり」「海運王」と呼ばれた。
登別温泉軌道を経営する一方、北海道会議員、衆議院議員を歴任し、室蘭港及び登別温泉の開発に尽力した。
「私のアイヌ研究に、忘れることの出来ない隠れた恩人の一人は、室蘭の故栗林五朔氏であった。令弟が同窓(東大)だった関係から、北海道へ行くと必ず寄って、あの大邸宅の客間に善美を尽くした厚遇を受けた。私の研究の皮切も栗林邸で逢った絵鞆の酋長ウピシテクルとの会話であったし、室蘭を振出しに廻って歩く先々へ、一々紹介して便宜を計ってくれられたのも、始めての私には渡りの舟の様な感謝であった」
以来、金田一のアイヌ語研究が続き、大正7年に旭川の近文で金成マツと知里幸恵と会います。マツは、アイヌのユーカラを集大成した女性。幸恵はマツの姪で、大正11年5月に上京して金田一の研究を助けますが、その年の9月に急死しました。
金田一の後継者知里真志保は幸恵の弟で、ともに登別のコタンで生まれています。幸恵が亡くなった時、真志保は13歳、高等科の2年でした。