花埋みー今金町・せたな町
内浦湾(大平洋)の長万部町国縫から日本海に抜ける国道230号は、かつて国鉄瀬棚線が通っていました。その線上に今金町があり、終点が瀬棚町でした。
この沿線が渡辺淳一の初期の代表作「花埋み」の舞台で、日本最初の女医で日本基督教矯風会の幹部だった荻野吟子の小説です。
明治24年、同志社大学を出た志方之善は10名の仲間とともに、基督教徒の理想郷を作るべく瀬棚郡利別原野に入植しました。インマヌエル(神と共にいます)と名付け(現在の今金町神丘)、大木と密生している熊笹に挑みますが開拓は難事でした。
東京の吟子が荻野医院をたたみ、夫の後を追ったのは明治27年。吟子、43歳で夫の之善は14歳も年下でした。
明治29年の夏、志方夫婦はインマヌエルを離れ、国縫でマンガン鉱の採掘を目指しますが失敗に終わります。
明治30年春、二人は瀬棚町に移り、吟子は「婦人科・小児科医院」を開業します。漁業戸数905、出稼ぎ漁夫2975人、江差と並ぶ有数の漁場で医院はこの年の暮れには患者も増えて生活も安定してきました。
10年以上も前になりますが、今金町の「インマヌエル」と瀬棚町の「荻野医院跡地」を訪れたことがありました。
今金町神丘は国道230号沿いにあり、インマヌエル教会には「今金町開拓発祥の地 インマヌエル之丘」の記念碑があり、荻野吟子の短歌が刻まれています。
「雲はらふ風につけてもこの頃はとしべつ原の朝夕の空」
瀬棚町の医院跡地には、ひっそりと碑が建てられていました。
また、荻野吟子公園があり吟子のブロンズ像の顕彰碑があり、背後に座右銘「人その友の為に己の生命を損なう此れより大なる愛はなし」が刻まれています。
瀬棚町郷土館では「荻野吟子コーナー」があり、遺品や書簡などが展示されておりました。
こちらで詳しく書いています。 北海道ゆかりの人たち「荻野吟子」