船山馨「北国物語」ー札幌市
大通西8丁目、南大通に船山馨生誕地の説明板があります。
船山が生まれたのは1914年(大正3年)で、第一次世界大戦が始まった年です。
札幌西高校を卒業後、早稲田大学や明治大学を中退し北海タイムスの記者として働き始めます。
昭和中期には「石狩平野」「お登勢」といった開拓をテーマとした小説で高い評価を受けています。
「北国物語」は昭和16年、太平洋戦争が開戦した年に発表された作品です。
船山馨は27歳でした。下記は昭和40年11月18日付け北海道新聞の書評です。
「当時、南大通西六で美しい白系露人三姉妹の営んでいたカフェー「シベリア」をモデルにしたといわれるこの物語は文中四十七回も出てくる『哀しみ』または『悲しみ』でもわかるように安住の故郷を見いだせない人々の悲しい心のかげりと魂のふるえで色どられている。」
北国物語の一節から
「札幌駅に着いた真岐はいとこの信之の出迎えを受け、自動車は停車場通りをまっすぐに中島公園へぬける広い電車通りを走った。道路の両側に巨大なアカシアの街路樹が鬱蒼と続く。そのあいだから五番館の赤レンガの建物がちらちら覗き、山形旅館の古い木造建築の一町先には鉄筋コンクリートの八階建てのグランドホテルが出来、そのまた少し先の十字街には三越デパートの支店が瀟洒な六階建てで聳えていたりした。」