畔柳 二美(くろやなぎ ふみ)
1912年(明治45年)1月14日 – 1965年(昭和40年)1月13日)小説家。
千歳市生まれ、北海高等女学校卒業。

千歳郡千歳村(現・千歳市字水明郷)の王子製紙株式会社千歳第一発電所の社宅に、発電所技師であった父遠藤彌次郎、母サキの次女として生まれている。姉八重、弟彌弘、満、實の五人姉弟。

1918年(大正7年)発電所内の私立小学校に入学したが、1年程で発電所の勤務が虻田郡狩太村(現在のニセコ町)に移り、狩太尋常小学校に転校し大正13年3月卒業、同年4月に札幌市の北海高等女学校に入学。4年制だった同校を1928年3月に満16歳で卒業。「姉妹」はこの頃の自伝的要素が色濃く構成されています。1954年、『姉妹』で毎日出版文化賞受賞、同作品は映画化もされ、代表作となりました。

夏休み、二人の女学生は故郷に帰ってくる。

JR比羅夫駅

「トンネルをすぎると、姉妹は急いで窓をあけた。もうすぐ右手に、山の中の発電所の家がみえるのだ。/レールの下のきりたった崖も、その下方を青々と流れる川も、川の向こうの緑の山々も、二人においでおいでをしているようだ。やがて、小山の裾が切れると、段々ならびの社宅の屋根が、次には三本の黒い鉄管とその下の赤煉瓦の発電所があらわれた」

JR函館本線比羅夫駅を出てトンネルを抜けたあたりのこの情景はいまも残っています。