古潭(こたん)
厚田村の発祥地は古潭になります。古潭は現在の厚田市街地から南に下った押琴(オショロコツ)地区で、天然の良港となる地形があったために弁財船(北前船)が往来するようになりました。
押琴湾は、南に弁天そりと呼ばれる防波堤として機能する岩礁を有し、弁財船が艫着けできる適度な水深がありました。30艘の入津が可能であったとされています。
往来時には一万人ほどの人が住んでいたといいます。古潭港は昔の投錨地の上に作られており、今も昔の古銭が上がることもあるといいます。
古潭の漁港入り口に「弁財船投錨地碑」が建っています。平成5(1993)年に厚田村によって建立されました。オショロコツは、アイヌ語で「お尻の形のくぼみ」という意味です。
古潭の漁場経営が始まったのは、安政5(1858)年に和人が定住するようになってからのことで、日本海を北上する弁財船(北前船)が唯一の交通手段でした。
また「弁財船投錨地碑」の隣に、「厚田村発祥之地碑」も建っています。
明治3年、開拓使厚田出張所は古潭に置かれ、厚田郡の行政中心地でした。その後、次第に中心は厚田村に移り、明治35(1902)年、押琴村、古潭村共に厚田村の大字となりました。
「厚田村から」を終わります。