明治4年<みそ・しょうゆ醸造所>篠路村
写真は、明治5年の醸造所(北大図書館蔵)篠路村です。
石狩郡篠路村に本道初のみそ・しょうゆ醸造所が造られました。
これは北海道における官営工場のはしりとなります。
開拓の初期、生活物資の大半は本州から運ばれていました。
しかし、北海道へ移民を進め新しい産業を起こすには開拓使自ら事業を進めるしかありませんでした。
こうして、生活に何よりも必要なみそ、しょうゆの官営工場が生まれます。
篠路が選ばれたのは、石狩、札幌への交通の要地であり、原料になる大豆、米、麦などが容易に手に入ったからです。
当時は石狩湾から石狩川(現在の茨戸川)をさかのぼり、茨戸を経て、伏籠川から札幌へというのが物資運搬のルートでした。
「しょうゆには<松><竹><梅>のラベルが張られ、<菊><福寿>などの特製品も作られました。
官営によるこの篠路工場も、明治11年9月、宮城県の士族「沢口永将」に払い下げられますが、経営は振るわず引き揚げることとなります。