明治44年<吉原炎上>
写真は焼け落ちた吉原大門
4月9日 | 吉原炎上(新吉原千住など約6500戸焼失) |
1911年4月9日午前11時30分頃、東京市浅草区の吉原遊廓の一角から出火、火は吉原遊廓全体に燃え広がっただけでなく周辺の家屋などにも燃え広がり、約6,500戸を焼失しました。
昼間だったことで死者は8人で済みましたが、花街の吉原が完全に壊滅しました。これが映画にもなった「吉原炎上」です。(映画では夜の火災)
当時の報道では、被害額は吉原だけで500万円、すべて合わせて700万円だとされています。