明治40年<函館の大火(約1万2000戸焼失)>

写真は岩見沢市の旧北村にある啄木の碑です。啄木が函館で教職時代に出会った
女性です。

1907(明治40)年8月、来函して4カ月ほどの石川啄木も焼け出されることになります。
このときは西部地区の大部分が被害を受け、焼失戸数は1万2千戸にものぼりました。大火のたびに街区や建物はより強いものに替わっていきます。

日本初の鉄筋コンクリート造り不燃構造寺院として知られる東本願寺函館別院も、明治40年のこの大火を受けて再建されたものです。

石川 啄木いしかわ たくぼく