(年表)明治37年
写真は二百三高地の激戦
1904年(明治37年) |
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2月4日 | 対露宣戦御前会議(国交断絶の最終案を決定し、ロシア外相に通告) | |||||||
2月5日 | 連合艦隊に出撃命令 | |||||||
2月10日 | ロシアに宣戦布告(日露戦争開戦)、第1軍の編成決定 | |||||||
2月11日 | 宮中に大本営設置 | |||||||
2月24日 | 第一次旅順口閉塞作戦開始 | |||||||
4月20日 | 征露第二軍、広島を出発 | |||||||
5月8日 | 小樽の大火(2481戸焼失) | |||||||
5月31日 | 大本営、旅順攻撃のため、第3軍の編成を決定(司令官乃木希典大将) | |||||||
6月17日 | 百三十銀行臨時休業、銀行界の混乱起こる | |||||||
6月25日 | 芝浦製作所設立 | |||||||
7月1日 | 煙草の官営実施(煙草専売法公布) | |||||||
7月20日 | ウラジオ艦隊、津軽海峡を抜け太平洋岸で汽船など5隻を撃沈 | |||||||
9月21日 | 日露両軍、二百三高地の激戦 | |||||||
9月29日 | 徴兵令を改正(後備兵5年制を延長して10年となす) | |||||||
12月5日 | 二百三高地を占領(旅順港内のロシア艦隊に砲撃開始) | |||||||
※ | 日露戦争に際して、函館要塞地域を臨戦地境とし、戒厳令を施行 | |||||||
※ | 小樽の漁業家がサガレン漁業期成同盟会をつくり、樺太占領を請願 | |||||||
※ | 北海道鉄道の函館・小樽間が全線開通する | |||||||
※ | 市立愛国小学校前身「幸震家庭教授所」として開設 | |||||||
※ | 内閣総理大臣 桂太郎 (明治34年6月2日~明治39年1月7日) |