抜海岬(稚内市)

「ばっかい」名の由来は、アイヌ語「パッカイ・ペ(子を背負うもの)」「バッカイ石」からといいます。かつてここには番屋や人馬継立所があったとされています。抜海村は1900年(明治33年)に稚内と合併し、現在は稚内市の一部です。

抜海岩は抜海市街近くにある高さ約30メートルの小山で、岩の下の洞窟がオホーツク文化、擦文時代、続縄文時代に生活拠点として使われていたことが、発掘遺跡などから判明しています。

留萌から国道232号を北上し天塩町で道道106号に入ります。真っすぐ進むと国道40号に突き当たり内陸を北上することになります。道道106号は電信柱もなく、左に日本海と利尻富士、右手にサロベツ原野を眺めながら海岸砂丘一直線の走行。サロベツ原野を過ぎて稚内市域に入ると長さ600mほどの半島が見えてきます。ここが抜海岬です。
岬の南側に抜海漁港があり、岬の大半は同港の岸壁。砂浜続きの海岸の中で、波を防いでくれる岩場の抜海港は天然の港となり、開拓期には利尻、礼文両島への渡海地でもありました。

抜海漁港が観光地になる時期があります。冬季になるとゴマフアザラシが港近くの岩礁や砂地、消波ブロックに大量に姿を現します。毎年11月ごろから翌年4月にかけて、繁殖のためにロシア・サハリン州沿岸から南下し道北地方にやってきます。

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