「お茶の水」の水ー岩見沢市ー

岩見沢市のあたりは、一万年ほど昔は海であったろう、と言われています。地勢のわずかな動き、噴火灰の堆積、草や木の積み重なり、また、川が運んできた土砂などが、何百年も何千年も積み重なって、今の地形に近いものになった、と言われています。

開拓に入った人々は、なるべく小高い土地で、実りの良い、水の便の良い場所を求めて、家を建てて住んでいました。
しかし、原野の方は泥炭地帯ですので、水があっても、赤茶色の泥炭水で、とても飲めるような水ではありません。どこを掘っても、すぐ水が湧き出ますが、どれも、どの井戸も、赤茶けた、かなけくさい水でした。半日も桶にとって置くと、油が浮いてくるような水でした。
たくさんの開拓者が入らなければ、土地は開けません。しかし、水がなくては、開拓に入ってくる人がいないのです。

早く開拓に入った人の中で、権四郎という人は、何とか良い水のある場所をと、探していました。あちこちの土地の様子も調べてみました。井戸を掘ったと聞くと、何をおいても、様子を聞きに行きました。
毎日、畑の仕事が終わると水探しの仕事をし、夜は、調べた場所を元にして、図面をつくりました。
元々、神さまや祖先を敬う立派な人であったので、毎朝、神仏に一日の幸福を祈り、夕方には、一日の無事を感謝しました。

或る晩、権四郎は、図面をつくりながら、つい、昼間の疲れで、うたたねをしました。
その時、夢の中で、神さまと仏さまが話をしているのが聞えてきたのです。

「中々熱心に水を探しているな。自分のためだけでなく、この村のために探しているが、水は、低い所だからある。というものでもない。権四郎の家の裏の沼から、百閒(180m)ほど川よりの、真土の高台あたりが、まず第一だろう」

「さよう、さよう。しかし、そこ一か所ではほかの者も困ろうから、いっそ、東から西に一本、水みちをつけようかのう」

「それが良い。それが良い」

というところで、権四郎は目を覚ましました。

神棚や仏壇に供えた灯りや線香も今、燃え切ったところのようでした。
権四郎は、改めて神仏にお礼をいうと、真夜中にもかかわらず、家じゅうの者を起こして、夢で見た場所に行き、土を掘りました。
そう深く掘らないうちに、水が湧いてきました。権四郎は喜んで、幾度もその水を手にすくい上げました。

あくる朝、行ってみますと、それはそれは、澄んだきれいな水が、こんこんと湧きでているではありませんか。

人びとは、こんなよい水でお茶を入れたら、本当においしいお茶が飲めるだろう、といい、それから、「お茶の水」という名の村になったといいいます。

「お茶の水」地区は、現在の岩見沢市幌向地区のことではないかと思われます。
お茶の水神社があります。