泊村のはじまり
とまり村名の由来は、中心地の入り江を指すアイヌ語のモイレ・トマリ(静かな・泊地)から当て字にしたものです。
1594年、近江国の豪族田付新助が漁場開拓のため訪れました。1601年、同志を募り「両浜組」を結成し許可を受け、泊沿岸の漁場を開拓。その3年後、泊から蚊柱までをフルウ場所と名付け1752年から明治まで断続的に古宇・美国場所の請負人となり、仁兵衛を代理人として経営させました。代々請負人を務め、行政にも貢献し、10代目には名字帯刀を許されています。ニシンが主でしたが、大正以降ニシンが減少、昭和に入り不漁となりニシン不振後はスケソウダラへ転換していきました。
茅沼炭鉱 (今に残るズリ山)
1856年、船頭の忠蔵という人が石炭塊を拾ったことから「茅沼炭鉱」が始まります。
1862年、米国からプレークとパンペリーを招き、探査させ断続的に採鉱が行われました。
1869年(明治2年)、鉄道を敷設し英国人ガールらの指導のもと稼働されます。さらにライマンの調査により炭質の優秀性も立証。
明治7年に旧薩摩藩士伊知地季雅開拓使主典が赴任し、格的採炭となりました。茅沼炭鉱は昭和39年、108年続いた歴史に幕を下ろしました。
長田幹彦の小説 「漁場より」 小説は札幌から函館本線で小樽を回り、小沢駅から岩内線(今はありません)に乗り換えて岩内町に入るところからはじまります。 「泊港からは照岸の漁場まで十町ほど山際の道を歩いたが、着いて、私はニシン漁の絵画的な光景に驚かされた。すぐに鰊の胎子と白子の煮物などで酒になり、やがて鰊の時がきた。一艘二艘、櫂拍子も勇ましく漕ぎ出してゆく。沖のほうでは、篝火が流星のように彼方此方へ動いている。順次枠を起こしはじめたが、それと同時に労働者たちが歌う唄がかすかに流れて来、はじめはのんびりした浜唄だったが、だんだん急調な木遺(きやし)に変わっていった。『漁場はそれを聞くと鼎のように湧きたった。その劇的な光景! 私は未だにその夜の壮大な光景を忘れることができない』」 かつて日本海はニシン漁業で湧きました。その情景を写し取っています。 小樽の祝津高台にある観光名所「鰊御殿」は泊村から移築したものです。 |
北海道 原子力発電所
石炭に代わるエネルギーとして北海道初の原子力発電所が建設され、平成元年に1号機が営業運転を開始しました。現在、原子力発電は停止した状態ですが、停止する前は北海道電気の3分の1を供給するエネルギー基地でもあります。
設立までの経緯
泊村と人口195万人の札幌は約80km。偏西風の影響を受けやすい原発東側に位置しており、近隣を含めると道民半数の人口となる位置にあります。なぜあの場所に原発を造ってしまったのか。泊原発建設の経緯をみます。
昭和42年、当時の町村金吾知事が泊村、島牧村、浜益村の3村を発電所候補地として発表したことが始まりでした。誘致活動が行われ昭和44年、北海道、札幌通商産業局、北海道電力(株)の三者協議で予定地を共和・泊地区に決定。しかし、「共和・泊原発」では「今日は止まり」で語呂が悪いと言われ、昭和53年北海道電力(株)は、発電所位置を内陸部から泊海岸(泊村大字堀株村)へ変更。更に地元町村長の同意がなされ、より沿岸部に変更し、泊村だけの用地で名称も「泊発電所」となりました。
昭和57年、堂垣内尚弘知事が「共和・泊発電所建設計画」を経済企画庁へ提出。「泊発電所」への名称変更の承認がなされ、北海道及び関係4町村と北海道電力(株)は建設協定に調印。(四町村とは泊村・神恵内村・共和町・岩内町)
昭和59年、内閣総理大臣(当時中曽根康弘)による原子炉設置許可、通商産業大臣(当時小此木彦三郎)による工事計画認可を受け、北海道電力(株)は起工式を行い着手。1号機は、平成元年6月から営業運転が開始。2号機は、平成3年4月から営業運転が開始。
平成12年、堀達也知事が3号機について表明。平成15年7月に経済産業大臣(当時中川昭一)より3号機の許可をえて、平成21年12月から営業運転を開始しました。
原発マネー 泊原発マネー959億円 21年間の総額
朝日新聞・北海道版より 2011年07月06日
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交付金 |
税 収 |
泊村 |
125億2600万円 |
421億円 |
共和町 |
28億7500万円 |
0 |
岩内町 |
51億1500万円 |
0 |
神恵内村 |
26億5900万円 |
0 |
道 |
88億1500万円 |
218億2300万円 |
泊に原発マネーが流れ始めたのは1・2号機が着工した1984年(昭和59年)からです。
新聞社の調べで、泊原発が営業運転を始めた1989年度から2009年度までの21年間で、道と地元4町村に支払われた原発関連の交付金や税収の総額が約959億円に上ることがわかりました。最も多いのは泊村の約546億円で、歳入総額の57%に達していました。
巨額の交付金や税収をもたらす原発に、地元自治体の財政が大きく依存している実態が改めて浮かび上がりました。
助成制度
地図を見ると分かりますが、泊村と隣接して「寿都町」があります。
現在原発廃棄に手を上げて原発マネーが交付されています。神恵内村も続きました。原発マネーとは関わりのない道民や自治体には何のことか全く理解できないことです。「原発廃棄物を持ち込むとは何事か」と言いますが、泊村近隣で原発マネーと関わりを持てなかった町では手を上げたくもなります。
私はこれらの役場を訪れてみました。交付金が回った4つの役場は最新の設備で新しくなっていました。回らなかった町と比較すると歴然としています。
村の収入の半分以上を占める泊村では、村人に対する助成制度は素晴らしいものがあります。他の自治体ではとても考えもつかない制度の数々です。原発という危険なモノを設置する代償金は、電気を利用する料金に上乗せされているということです。
共和町を訪れた時に、何故原発が共和町から外れたのかを聞きました。
一番奥に座っていた人が共和町の歴史をまとめた冊子を持ってきてくれました。お金は有難いことですが、出し過ぎると村の歴史が大きく変わってしまいます。