マルトマ食堂 (苫小牧市) 
20年ほど前になりますが、苫小牧フェリーターミナルを訪ねた時に売店の人に「苫小牧の人が良く行く食堂はどこですか」と訊ねました。すると若い女性は「私がよく行くのはここです」と地図を出して指し「ただし、2時までしかやっていません」と念を押してくれました。

早速、行ってみました。そこは苫小牧漁港にある漁師のための食堂でした。廊下に行列が出来て待たなければなりません。順番が来て中に入ると、年季のはいった狭い食堂でしたがメニューを見ると安いのにビックリ、隣を見るとさらに驚くほどの量でした。
売店の女性お薦めの「ホッキカレー」を頼みました。カレーは良く食べますが、苫小牧沖で獲れるホッキがたくさん入っているのは初めてでした。これが実に旨い、病みつきになるほどの美味しさでした。
すっかり常連になったころ特別メニューが入口に張られていました。「祝・駒大苫小牧高校優勝/ウニ丼1000円」。マー君(田中将大)たちも常連だったようです。今は、この食堂は苫小牧一番人気となり外まで並んでいます。仕方がないので、この食堂の兄弟店を探しました。分かりづらい場所ですが、味は一級、値段は格安。ただし、こちらも店内は何とかしたほうが良い。
      
八王子千人同心
3年ほど前に町田市郊外で「八王子千人同心研究会」の張り紙を見ました。大変珍しく、東京でどのような研究をしているのか興味深く読みました。
八王子市の甲州街道沿いに「千人町」という地名があります。江戸時代、この辺りに幕府の家臣団である八王子千人同心が住んでいたからです。千人同心とは、甲斐武田家の滅亡後に徳川氏によって庇護された武田遺臣を中心に地侍・豪農などで組織されていました。甲斐を離れ、現在の相模原市緑区の奥地や伊豆などで帰農する者もおりました。
十勝の開祖と言われる依田勉三は、西伊豆の松崎で豪農として成功した一族の三男です。
苫小牧と八王子は姉妹都市を結んでおり、この同心が221年を経た今日の苫小牧の礎となっているからです。苫小牧市民会館前に勇払千人同心の像が建てられています。

勇払会所(ゆうふつかいしょ)
JR苫小牧駅から日高本線で一駅目に「勇払駅」があります。ここは勇払川の河口にあたる地区で苫小牧発祥地になります。
私は、アイヌ民族のシャクシャイン蜂起(1669年)が起きた最初の場所はここではないかと思っています。
根室におけるクナシリ・メナシの戦い(1789年)の後、幕府は1799年に松前藩を外し蝦夷地直轄とし、場所請負人を廃し会所を設けました。勇払は幕府の出張所で物流やアイヌ交易の地域だったところです。

八王子千人同心は、寛政11年(1799年)に蝦夷の警備と開拓を幕府に願いでます。農作や養蚕を行い、武術の心得もあることから警備と開拓に適していると承認され、寛政12年43名で出発。翌日に57名が出発し100名体制で開拓を目指しました。50名が勇武津(苫小牧市勇払)に入植、50名は釧路の隣町白糠町の地に入植。両隊は自給自足により警備・開拓・交易・道路建設などに従事。これが、明治以降の屯田兵の第一歩と言われています。
しかし、自給自足するには程遠い収穫高でした。飢えと極寒の開拓は思うようにまかせず、文化元年(1804年)までに病死者32名・帰国者19名を出し4年目に断念せざるをえませんでした。若い女が淋しく雨の降る夜、泣きながら「この児にお乳を下さい」と戸をたたく、開けてみると姿はない。夜泣き梅女の哀話が今も残っています。
(この梅女像が苫小牧市民会館前の千人同心の銅像の下にあります)

ウトナイ湖
札幌から国道36号で苫小牧に入ると「ウトナイ湖」が左手に見えてきます。かつては海の入り江で、砂州や砂丘が発達し、海と切り離されて淡水湖になりました。マガンやハクチョウの集団飛来地で平成3年にラムサール登録。
30年ほど前までは、渡り鳥の季節には数万羽が飛来し、湖畔に人は少なくのんびりと白鳥を眺めることができました。ところが、2009年「道の駅ウトナイ湖」がオープンすると事態は変わりました。昔のような渡り鳥を見ることはなくなり、まことに残念なことです。

交通の要衝
苫小牧は太平洋に沿って、JR室蘭本線・国道36号線・道央高速道路が縦断しており、これが大変長く続きます。その例として、ICが東・中央(令和2年12月開業)・西と三か所あります。更に、最初の東ICは国道を右折しますが、左折すると無料の高速道路で日高に向かうことができます。
千歳は隣で新千歳空港は国際空港と併設、海は苫小牧西港フェリーターミナル、隣町の厚真町には苫小牧東港フェリーターミナルがあります。
要するに、昔から交通の要衝になっているのです。30年ほど前までは、道東に行くには「勇払」から太平洋を下り、「富川」から「平取」の内陸を上り、日勝峠を超えて十勝に行きました。(今は夕張から行けるので便利になりました)

王子製紙
王子の城下町といわれるほど王子製紙は北海道開拓に貢献をしてきました。王子が苫小牧工場を新設したのは明治43年のことです。
この工場は世界有数の新聞巻取紙工場で製紙工場の始まりです。支笏湖の湖畔に「鉄道の赤い陸橋」が残されていますが、明治41年に王子製紙が千歳発電所を建設するための物資輸送のために、苫小牧工場から支笏湖まで王子製紙軽便鉄道「山線」を走らせた跡です。昭和26年に廃線になりましたが、一般客・原木を運びました。
王子製紙の鉄路は、日高線の苫小牧―富川―平取まで木材輸送を兼ねて一般客輸送を行っていました。沿線の開拓貢献は図り知れません。

緑ヶ丘公園展望台
国道36号を曲がらず直進すると住宅地で生活道路(環状線)となり、国道276号に突き当たります。276号は苫小牧の中心市街を基点として、支笏湖―京極―岩内が終点です。

突き当りの小高い丘を上ると「緑ヶ丘公園展望台」があります。三階建ての建物で展望台(海抜56m)からは苫小牧を360度で見ることができます。太平洋や雄大な樽前山(たるまえざん)、王子製紙の煙突や市街地を良く見渡すことができます。高台はここだけです。そうして、丘の反対側に降りていくと市営野球場やサッカー場などスポーツセンターがあります。
金太郎の池
さらに、進むと「金太郎の池」という公園があります。運動公園の中にある公園で、カモやコイ、カメが居て、野鳥も生息しています。池の周囲は、遊歩道になっており散歩やジョギングする市民も多く1周約2キロ。公園内には、貸しボートや、バーベキューを楽しむレストハウスもあります。家族連れで楽しい時間を過ごそうと多くの市民が訪れています。金太郎とは変わった池の名を調べたことがありました。
この池は造られた池で、命名にも歴史があるようです。桜の木も植えられていているので5月には見事な桜が見ることができるでしょう。

苫小牧市科学センターミール展示館 
市制50周年を記念して、平成10年にロシア(旧ソ連)の宇宙ステーション「ミール」と実験モジュール「クバント」の予備機が、苫小牧市科学センターに設置されました。岩倉建設㈱が苫小牧市に寄贈されたものです。この、宇宙ステーションを見ることができます。
ミールは1986年に旧ソ連が打ち上げた世界初の長期滞在型の宇宙ステーションで、本体に6個のドッキングポートを持ち、巨大な宇宙構築物を作ることに成功しました。2001年、ニュージーランドの南太平洋に落下しその使命を終えました。
これは一見の価値が十分あります。(無料です)