道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。
尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。
よいち 1969年 14分 白黒 音声なし 制作 札幌テレビ放送
1969年(昭和44年)の余市町です。
上空からの余市川をとらえてシリパ岬をアップで映し、カメラは地上におりて5号線から229号に入り余市川を渡り入船町に出る地点を中心に映されています。余市町役場や町長の名前もあり、余市の勢いのある時代です。
現在の余市はJRよいち駅と国道5号線が市街の中心になっていますが、
蝦夷のころはヨイチ場所が千石場所として栄えており、余市の中心地は今とは違います。
昭和44年ごろは、まだその余韻が町に残っているように感じました。
余市町民にとって、誰もが「ふるさと」とするシリパ岬。映像には岬の高台に「余市水産博物館」が丁度建設されているところも映されています。
余市は、江戸時代から大正時代までニシンで栄え、下ヨイチ運上屋の他にも、母屋及び米蔵まで現存する旧余市福原漁場も残されている町ですが、これらは省かれています。
(昭和29年のニシン漁を最後に余市湾への回遊が途絶えてしまいました)
昭和44年の映像では、鰊のことは映されておらず、漁業は鰊に代わって鮭が水揚げされていました。また、ウニの漁業も盛んだったようです。
社会福祉センター、余市児童館と行政は福祉や教育に力を入れていることを印象として残りました。
温泉ホテル
モイレ城閣(温泉ホテル)が開業し町民のお年寄りが訪れる風景が映されています。
これは昭和42(1967)年にモイレ山山頂にオープンしたホテルですが、町を挙げての開業だったようです。
経緯は省かれていましたが、元々よいち町名の由来は、アイヌ語のユウヲチ(温泉のある所の意)の略語との説があるくらいですから、経緯も知りたいところです。
りんご
余市のりんごは、明治4年に旧会津藩士が余市町の山田・黒川地区に入地したことがはじまりです。
このりんご栽培は、歴史を語ってほしいと思いました。
ニッカウィスキー
ニッカウイスキー北海道工場は、昭和9年に余市駅前に竹鶴政孝によって創立されました。
この工場は未だに現役でそのまま運営されています。
多くの観光客が訪れていますが、工場内は懐かしく見させてもらいました。
14分と短い映像でしたが、シナリオが当時の町役場を中心に作られているように感じました。
写真は余市の人たちのシンボルでもあるシリパ岬です