士別神社の坂道・士別市
士別という町は、明治32年に屯田兵によって開かれた町です。
現在の大通り(国道40号)に100戸の兵屋が建てられており、家族520人とともに入植します。ところが、100戸のうち一戸が火災になり99戸となりました。
この時期の屯田兵は平民が主で不安が高まります。しかし、より団結心が強まり守り神の士別神社を建築し、その山を「九十九山」と名付けました。
私は長いこと士別神社のある山が「つくも山」と思っていました。
実際はこの士別神社のある山の更に奥の山で、今は削られて山も低くなり民家や荒れ地となっています。
絵を描いた場所は士別神社の社務所のあるところから坂道を見下ろしたところです。