この防風林を超えると、私の58年前に戻ります。
町を出るにはこの防風林を越える必要がありました。中学校までは徒歩でしたが、高校となると士別まで行かなければなりませんでした。
中学校は6校の小学校から集まり一学年は3クラスで150人。8キロを歩いて通学する者や弁当を持てない者はグラウンドで遊ぶ時代でした。
通学はみな士別軌道のバスでした。かつては馬に曳かせる鉄路で後に軽便に代わり奥士別(現在の朝日町)から伐り出した大木を士別駅まで運ぶ時代もありました。
30分のバス通学で、ある朝、揺られるバスの中でアメリカ大統領ケネディー暗殺のラジオ放送を聞きました。当時のアメリカは中学の教科書で習った「ジャック&ベティー」でしかなく遠い世界でした。
この絵を描きながら、様々な記憶が甦ってきました。防風林の先を100枚ほど描きましたが、今年は開拓の時代からを描く予定です。
この作品は、火野正平「こころ旅」シリーズとして通販で販売しています。
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