札幌の奥座敷といわれる定山渓温泉は明治の初めに美泉定山が宿を作ったのが始まりです。湯元は「ホテル鹿の湯」で、鹿が傷を癒すために浸かっていたといいます。
美泉定山は岡山の僧侶の生まれで、修行のために旅に出て江戸時代末期に、蝦夷の松前に来ました。
瀬棚の大成区にある太田山神社があまりに険しい山にあるため、道の開削を兼ねて修行をおこなっていたこともあります。
その後、北に向かい小樽で所帯を持つのですが、この時にアイヌの青年が「温泉がある」と連れていったことが始まりでした。
しかし、ここに温泉があることは、すでに松浦武四郎が気付いていました。武四郎は、自費で3度、江戸の幕臣として3度、蝦夷の探検を行っており、定山渓一帯の記述も多く札幌岳・八剣山の眺めなどを詳細に記録しているといいます。