幼少のころ、この橋を大人たちが建設している写真を見たことがあります。太い柱を組み立てた橋だったように記憶しています。
次は小学時代ではないかと思いますが、鉄筋で完成し記念に「三世代の親子」が渡り初めをした記憶があります。
「菊水」は楠正勝の紋章のことです。
橋を渡った川南には多くの十津川村民がおりました。南北朝時代、楠正勝は南朝後醍醐天皇を擁護して足利尊氏と交戦するが敗れて十津川村へ逃亡しました。
再起を図るが十津川村武蔵で1404年病没。
南朝遺臣として十津川村民の敬愛を受け墓のある武蔵では毎年4月3日供養祭が行われています。北海道に移住した人たちも楠正勝を偲んで菊水の名をつけたのでしょう。