苫小牧から国道235号を南下し新冠市街地の入口に「判官館森林公園」の看板があります。
海沿いから急に内陸に入り、看板を右手に見てサラブレット銀座通りの交差点を過ぎ、新冠橋を渡ると道の駅が見えてきます。ここが中心市街となります。
この絵は新冠川の河口から標高80mの断崖絶壁の「判官館」を見上げ、JR日高本線(今は廃線となりました)の陸橋近くから描いたものです。
「判官」とは、源九郎判官義経のことで、義経ロマン伝説が残る夕日の名所となっています。新冠はハイセイコーを生んだ競走馬の街ですが、これは明治10年に開拓使顧問エドウィン・ダンが新冠牧場を設計したのが始まりです。
しかし、蝦夷の時代は5分も車で走ると静内川で、真歌の丘にアイヌ民族の英傑シャクシャインを構える一大勢力がありました。1669年6月14日に始まったアイヌ民族最大の蜂起は、10月にピポク(新冠)に、松前藩第一陣が到着。
夜ともなれば、そのかがり火は数えきれなく、進軍の途中に投降したアイヌ軍も加わっていました。
シャクシャインの最後は、松前藩が開いた宴会で、したたかに酔わせたところを襲ったという説があります。殺害された場所の説は三カ所あり、一つは真歌の丘のシャチ、二つ目に静内川の中州に開いた会場、もう一つがこの判官館です。
いずれにしても、酔わせて殺すは松前藩の始祖武田信広以来から伝わる伝統の作戦でした。シャクシャインが殺害されると、この一帯のアイヌ部落は松前藩により分散されます。多くは現在の平取地区に落ち着き、義経神社を代表とする義経伝説の宝庫となりました。参議院議員であった平取の萱野茂(アイヌ民族)が義経判官を書いた児童本などもあります。