ハルニレの木

町名の由来は、アイヌ語の「トエコロ」(大きなフキが生えていたところ)から。

明治13年(1880年)に大津外4郡戸長役場が置かれたのを開町としています。

明治30年、本町の開拓に大きな役割を果たした二宮尊親(二宮尊徳の孫)が福島県から興復社一行を率いて二宮地区に入植しました。
豊頃の町は十勝川河口に位置しており、明治の開拓に入植した人たちは十勝川河口から上陸しました。
この地区が大津で十勝地方発祥の地とされ碑が立てられています。

町のシンボル・ハルニレの木

十勝川の河川敷内に2本の木が扇型をし1本の木に見えます。
近くにいくとそのことがわかります。
蝦夷地と呼ばれていた時から十勝川の流れとともに水害や風雪に耐えてきました。この「ハルニレの木」は豊頃町の町木に指定され、写真集やテレビでも紹介されています。
豊頃の町に入ると、いたるところでハルニレの看板が目に入ります。
十勝に開拓で入った人たちは、まだ道路が開削されておらず十勝川を上る時に誰もが見ていた木ではなかったかと思います。