晩成社史跡公園

大樹町名の由来はアイヌ語の
「タイキウイ(tayki-us-i)」(ノミ・多い・ところ)から。

「十勝開拓の祖」とよばれる依田勉三率いる晩成社は、明治16年に現在の帯広市へ入植し、3年後の明治19年に大樹町生花晩成地区で「晩成社当縁牧場」を開設し、牧畜業を始めました。
原生林を切り開き、不毛と思われた土地に鍬を下ろし畑作と酪農を試みたのです。

晩成社

また、半地下式のサイロを作り、バターの製造チーズの試作など時代を先取りした酪農経営を展開し、今日の大樹農業の基礎を築き上げました。

この地は現在「晩成社史跡公園」になっています。
依田勉三が明治26年夏の建設時から大正4年の春まで住んでいた住居の復元や井戸跡、サイロ跡、ムロ跡、「もみじひら歌碑」、祭牛之霊碑などがあります。

明治27年、富山県人北守小左衛門ら小紋別に入地。
兵庫県団体、来海宇平らエンダタラに入植。
昭和3年、 広尾郡広尾村(現広尾町)から大樹村、歴舟村、当縁村の3大字が分村、広尾郡大樹村成立。