子母沢 寛 しぼさわ かん

明治25年2月1日~昭和43年7月19日

現在の石狩市厚田区生まれ
本名・梅谷 松太郎
画家三岸好太郎と異母兄弟

日本の小説家
第10回菊池寛賞受賞。

座頭市の原作者 

 

生い立ち

松太郎を生んだ母親は、男と駆け落ちをして札幌に出て行きました。
母に捨てられ、祖父母に育てられることになります。明治25年ごろの厚田村は、ニシン漁の最盛期で、佐藤番屋は最高位の番付「横綱」の地位を維持していた村でした。
祖父の梅谷十次郎は、松太郎を溺愛で育てることになります。
祖父は江戸で切り米20俵の家禄を受けていた御家人でした。幕末の動乱で彰義隊に加わり、その後旧幕府軍に参加し箱館戦争で捕虜となります。釈放後に流れ流れて厚田村にたどり着き、用心棒のようなことをしていました。
その後、網元となり旅館や料理屋をはじめ流行っていたようです。この祖父を訪ねて、かつての箱館戦争の仲間7人が集まってきます。それぞれ腕の立つ、一癖も二癖もある浪人崩れでした。松太郎は、祖父の膝の上で、薩摩・長州藩たちの恨み言を聞きながら育つことになります。

子母澤の話し

「北海道特有のものと江戸から持ち込まれたものとが入り混じった2つの雰囲気が村にはありましたね。ぼくのおやじは漁場を持っていて、そのうえに宿屋を経営し、さらに東北方面からの出稼ぎ漁夫相手の女郎部屋もやっていたようです。(中略)  この7人の老人たちが、江戸のことをなつかしがって話しているのを、はたで聞いていたおかげで、江戸など全然関係ない北海道の寒村にいたぼくが、江戸を舞台にした小説をかけるんですからね」  

母親との再会

10歳になるころに、祖父母が亡くなり、札幌にいる母親を訪ねることになります。ここで異父の弟「三岸好太郎」に会います。
旧制の北海高校から東京の明治大学に進み、母親は仕送りを続けていたといいます。弁護士を目指していたようですが、新聞記者として働くことになります。
この新聞社が連載で「戊辰戦争」を取り上げることになり、記事集めに奔走しますが、これがキッカケで小説家の道に進むことになりました。

昭和3年、デビュー作「新選組始末記」でペンネーム子母澤寛をはじめて使用します。この名前は当時住んでいた大森の住所が子母澤と言っていたので、ここから付けられたものでした。この作品は、小説というよりは、幕末の生き字引の人たちに実状を聞いて記録した「史実」だったのです。従って、誰に聞いたのか克明に記載しているのです。

土佐の竜馬記念館

高知にある坂本龍馬記念館を訪れたことがあります。
「暗殺された現場」は、子母澤の実録を再現されたものだと思います。
司馬遼太郎が、神田の書店を探し回っても出てこなかった古文書は、「始末記」に書かれてありました。子母澤の記録は生々しく現場を表現しています。
司馬は子母澤に会い「借りてもいいですか」と仁義を切ったといいます。そんなこともあって、「街道を行く」で厚田村を訪ねた経緯がありました。

座頭市

子母澤は祖父や仲間の話しを聞いて育つことで、明治新政府に対する疑問を持っていたのでしょう。「勝てば官軍」は、盛り付けされて歴史に記録されていることに、大きな不信感を持っていたと思います。
新選組の四天王で唯一生き残った「永倉新八」の話は小説よりも真に迫ってきますし、土方歳三の馬上で銃弾を受けて倒れる実録は、側にいたものでなければ分からないものです。
幕末に剣に生きた者たちの、真剣勝負は生々しいもので、小説ではないものを感じてしまいます。

新選組の中でも、沖田総司の剣は天才であった、土方でさえ沖田には子ども扱いされていたとあります。おそらく師範代の永倉が語っていたのでしよう。
しかし、子母澤が一般大衆に知られることになったのは映画の「座頭市」でした。
座頭市のような、「剣の達人」は日本全国「文武両道」で鍛え上げた連中がたくさん存在したようです。
司馬遼太郎だけでなく、池波正太郎や時代物を書く作家は、子母澤の本を手にイメージを掻き立てたと思います。
新選組のビデオを見てみましたが、実録ではありませんでした。

「厚田村」という本

著者は映画監督・脚本家の松山善三で潮出版社より1994年に単行本で出版されています。題字・梅原龍三郎/装幀・高峰秀子
「厚田村」は、ヒロインの父親に徴収令状が届き札幌月寒の25聯隊に行くところから始まります(日露戦争)。
厚田村は明治以降、異色の人物を輩出しました。
全国から移民をしてきた北海道の縮小版の村ともいえるでしょう。                                  

厚田公園には創価学会二代目会長の戸田城聖の生家が保存公開され、推理作家の楠田匡介や横綱吉葉山も厚田村で生まれた。
松山善三は「厚田村」で佐藤松太郎(鰊番屋)を描きましたが、家督を継いだ佐藤正男は奨学資金制度を設け、北海道の小説家島木健作と和田芳恵を育てます。
この「厚田村」は北海道を知るにはベスト3に入るでしょう。