大久タツ

明治27年8月7日―昭和36年没

札幌竹家食堂 
ラーメンの命名者

ラーメンは日本人の食生活にすっかり馴染んだ食べ物です。
終戦の昭和21年頃に、満州などの引揚者が札幌の薄野屋台で作った豚骨煮出しの濃いスープが源流と言われています。

元祖は松田勘七が開業した「龍鳳」と言われ、翌年西山仙治が開業した「だるま軒」と共に人気店となります。
東京で中国料理の修業をした西山は、製麺技術の高さに定評があり「龍鳳」など、他の店の麺作りも手がけるようになっていきます。

旭川の「蜂谷(はちや)」は、昭和22年が創業で中華そばをヒントに、スープの改良を重ねて売り出しました。
更に、札幌で昭和26年に「龍鳳」など8店が、初代「札幌ラーメン横丁」として醤油味でスタートします。

昭和30年、札幌の「味の三平」が味噌ラーメンを開発。
この年に「暮らしの手帳」の元編集長花森安治が食べて、11月号にその時のことを執筆したことで全国区となります。
同じころに、西山製麺によって「多加水熟成麺」が開発され、味噌ラーメンに使われるようになり定着していきます。いずれも安くてお腹いっぱいになる大衆料理として、市民権を取得していきました。
ところが、昭和40年代に一杯60円だったラーメンは、今や700円~1000円となり大衆から遠ざかりました。

「ラーメン」ですが、日本人によって名付けられたことを知る人は少ないようです。命名は戦後ではなく大正11年北海道大学前にあった「竹家食堂」です。

ラーメンと名付けられるまで

大正11(1922)年。北大の中国人留学生に付き添われた同胞人が北9条西4丁目の「竹家和食店」を訪れました。
王文彩。腕の良い調理人であることを説き、雇ってくれと頼みます。経営者の大久昌治(仙台出身の元警察官)は、店の和食経営から中華料理への転向を決意し、彼を雇い入れます。

王文彩(中国山東省出身の料理人・おおぶんさい)は中国服を着て丸坊主。
北海道で初めての中華料理専門店「支那料理竹家」が誕生します。
中華料理に「肉絲麺(ロゥスーミェン)」を原型としたもので、塩味をベースとし、スープの中にちぢれた歯ざわりのよい麺(めん)、そして支那竹とネギを添えたものがありました。
王文彩が作った麺料理で後に「ラーメン」と呼ばれるものでした。
ところが、中国人留学生には人気がありましたが、店のメイン料理ではありませんでした。
日本人の口にも合うようにと大久タツが王文彩の後任の料理人李宏業、李絵堂の2人に相談し、それまでの油の濃かったラーメンから麺・スープ・具を改良、試行錯誤の末、大正15年の夏に醤油味でチャーシュー、メンマ(シナチク)、ネギをトッピングした現在のラーメンの原形を作り出しました。
(ただし、当時の竹家のラーメンは現在の札幌ラーメンとは異なります)

当時、北大には中国人留学生が大勢いただけに、これが引き金となり、「竹家」に出入りする留学生は急増します。
また、台湾にいたことのある北大教授の今裕さん(医学部長、のち学長となる)は、ことのほか竹家の味が気にいったようで、同僚や友人を伴い、興がのると日本人好みの味について、ひと講釈したようです。おかげで北大の学生や職員、そして周囲の評判を呼び、客も増えていきました。

「ラーメン」と命名

留学生で満員の店に入って来る客の中には柄の悪い者も多くおり、留学生たちにとっては決して快い響きではなかった「チャンソバ」。中国人の気分を悪くする言葉を使う者も少なくありませんでした。

留学生によって繁盛している「竹家」にとっては申し訳ない気持ちでいっぱいでした。だから、この中国の新しい麺料理の命名については竹家では大変苦心したようです。

この麺料理の価格とともに品名を壁に張り出します。
はじめが「肉糸麺(ロースーメン)」。よく売れましたが、まともに名前を言う人は少なく、次に「柳麺(リュウメン)」と品書きを替えます。
これも駄目。
そこで麺を引き伸ばすという意味から「拉麺」(lā miàn, ラーミエン)と書きラーメンと読ませます。
これは注文の品ができ上がった時「できました」の意味で「好了(ハオ・ラー)」と発音するラーがいかにも中国語的な快い響きをもっていたからです。

タツは壁に「ラーメン」とカタカナで書いた品書きを掛けました。
すると、それからしばらくしてみんなが「ラーメンをくれ」と言うようになりました。
この言葉が定着したとき、「竹家」のおかみであるタツさんは余程うれしかったらしく、後々までも「ラーメン」の名付け親は大久タツであると孫たちに自慢していたといいます。

竹家ラーメンの調理方法

神戸市灘 竹屋ラーメン

ラーメンの原点である竹家ラーメンの調理方法は、スープは卵を産まなくなった地鶏のメス一羽と豚のスネ肉などの部分をミンチにしてまぜ、これに水を入れて一時間半煮たもの。
麺は小麦粉をかん水(天然ソーダ水)だけで練り上げ、添加物は一切なし。具は千切りにしたモモ肉、サヤエンドウ、タケノコとネギの千切りにしたものでした。
元祖「竹家ラーメン」は、神戸市灘区で大久昌治の孫(武)が下河原通りに平成5年に復活しているそうです。