ジョン・バチュラー

1854(嘉永6)年3月20日~1944(昭和19)年4月2日

イギリス人の聖公会宣教師。
アイヌの父と呼ばれた。

伊達市街地を通過し20分ほど走ると有珠登山の信者たちが降りるJR有珠駅があります。
山に向かわず、左折して海に向かうとアイヌのコタン跡やパチュラー夫妻記念堂などがあり、噴火湾に突き出た半島アルトリ岬に到着します。
アルトリ岬は標高27mの山で、本土とかろうじてつながっている陸繋島です。

 

 

生まれ

イギリスの田舎町で11人兄弟の6番目として生まれました。
代々騎士の由緒ある家系で仕立屋を営んでいましたが、インド宣教師の説教で東洋伝道の志を持ちイギリス教会に入会します。
両親に教えられた「弱い者を守る」という彼の信条からでした。
              
1876年に香港のセント・ポール学院に入学しますがマラリアを患い、故郷と気候風土が似ている函館に転地療養するように命じられます。
23歳の宣教師の卵でした。

函館
函館でアイヌの存在を知ります。 和人に土地を奪われ、いわれなき差別を受け苦しんでいることを聞かされました。
明治11年、日本に来て半年、片言の日本語を使えるようになったバチュラーは、函館の街でアイヌの青年たちに出会います。平取という村に住んでおり、熊狩りをし肉を売りに来たといいます。すっかり打ち解け平取を訪れることを約束しました。
当時アイヌ部落は全道にあり人口は約1万7千人。胆振・日高に6割と多く、特に平取には多くのアイヌが住んでおり、生活風習が保たれていることを知ります。

平取
函館から馬車に揺られて3日後、平取に到着すると、首長をはじめ村人が温かく迎えてくれました。
バチュラーは、懸命に生きる人々のために「宣教師になる」ことを決意します。
ロンドン伝道教会は明治12年、正式に宣教師に任命。
25歳の青年は、この時からアイヌ民族への伝道と救済に尽くすことになりました。

平取のアイヌの人たちと

平取コタンのペンリウク首長は、自分の家を増築して部屋を作りました。
キリスト教がどういうものか理解していませんでしたが、正義感溢れる人柄、熱心な姿勢に人々は心打たれたのでしょう。
バチュラーは酒と闘わなければなりませんでした。アイヌの人たちは狩猟を禁止され、食事を米やイモに切り替えなければなりませんでした。
それに伴って病気やストレスが増え、酒で紛らわせる者もいました。和人はそんなアイヌを、怠け者呼ばわりしたのです。バチュラーは禁酒を強く勧めました。

それを快く思わないのが酒を売ってきた和人たちでした。彼を平取から追い出すために「バチュラーは酒を奪い、この土地も国も奪うつもりだ」。
アイヌの人たちはバチュラーに警戒心を持つようになっていきました。首長も動揺を隠しきれません。 

明治18年、役人はバチュラーを告訴します。
「アイヌ民族の同化政策を唱える日本政府に歯向かい、アイヌ語を存続させようと努力している」罪には問われませんでしたが、コタンの人々との間にしこりが残り住み慣れた平取を去ることになりました。

アイヌ語辞典を出版

明治18年、平取を離れたバチュラーは31歳でした。
その後、室蘭・伊達・白老、釧路・厚岸・網走などのコタンを訪れ、アイヌ語で伝道して歩きました。
そして、登別の幌別コタンに落ち着きます。

ここで以前から考えていたアイヌのための学校を作ります。
良心的な和人や伝道協会からの募金をもとに、明治21年札幌にアイヌの小学校「愛隣学校」を設立し、アイヌ語の読み書きをローマ字で教えました。
そうして、明治25年には無料のアイヌ専門病院を設立。

蝦和英三対辞書

明治22年、35歳の時、それまで書き留めた2万語のアイヌ語をローマ字で表し、日本語と英語に翻訳した「蝦和英三対辞書」というアイヌ語辞典を出版。

世界初の辞典でした。

 

 

また、自宅の別棟に「アイヌ・ガールズ・ホーム」を建設。
身寄りのないアイヌの女子児童を引き取ります。

バチュラー(向井)八重子

その中の一人、向井八重子という少女を養女に迎えたのです。異国人と養子縁組は例のないことでした。

大正9年「アイヌ教化団」という中等学校以上の教育を受けさせるための団体をつくり「バチュラー学園」を創設。子供たちを札幌に集め、生活費や学費を援助し、中等学校以上の進学をさせるための寄宿舎を建設します。
昭和15年に閉館されるまで続けられ、教師、獣医、無線技士など様々な職に就き羽ばたいていきました。

大正12年、70歳のバチュラーは46年の活動を終えて宣教師を退職。
その後も札幌に住み続けますが、昭和15年、第二次世界大戦により反英感情が高まるなか、「必ず戻る」と八重子に言い残して日本を去ります。
昭和19年、故郷で90歳の生涯を終えました。

アクフィールド村の記念碑

その一報が届いたのは昭和21年のことでした。
今、伊達市ではバチュラーの建てた教会が記念堂として保存され、平取町では昭和24年バチュラー保育園が開設されています。北大植物園内にある住宅はバチュラー記念館として彼が収集したアイヌ工芸品を展示しています。

イギリスのアクフィールド村には、平取を中心としたアイヌ民族の献金によって記念碑が建てられています。