鷹栖町の旅 (オサラッペ川)

たかす名の由来は、かつてトンビやタカが多く、アイヌ語でチカップニ(大鳥が棲むところ)と呼ばれていたのを意訳して「鷹栖」の名が付きました。 鷹栖という地名は、旭川市にも東鷹栖地区があります。これには分村・・・ (続きを読む)

比布町の旅 (いちご狩り)

ぴっぷ名は、アイヌ語のピプまたはピピから出たもので「沼の多いところ」あるいは「石の多いところ」の意。 昔は湿地帯が多かったことや、石狩川の川床には石が多かったためピプ、ピピが転訛し音訳して名付けられた・・・ (続きを読む)

愛別町の旅 (きのこの里)

愛別町は、旭川市街地から国道39号で層雲峡に向かって約40分ほど。 日本で初めて自家用飛行機を持った町です。 あいべつ名はアイヌ語のアイペッ(矢、或いはトゲ・川)からとされ、土地の傾斜が急な為、流れが・・・ (続きを読む)

富良野市の旅 (北の国から)

ふらの名はアイヌ語のフラーヌイ(におう炎臭いニオイのするところ)に由来。十勝岳の噴気にちなんだといわれます。 明治 29 年に富良野原野殖民地区画の設定が行われ、翌 30 年福岡県三井郡出身の中村千幹・・・ (続きを読む)

当麻町の旅 (でんすけスイカ)

明治25年に当麻屯田兵村の兵屋建設が当麻中央部で行われ、翌年、広島・山口両県から101戸が先陣入植しました。(最終的には400戸) 当時は永山村の一部で字トウマと呼ばれ原始の未開地でした。 屯田兵に・・・ (続きを読む)

上川町の旅 (層雲峡)

明治24年、北見道路が開通し越路駅逓(現・市街地)ができ、翌年中越駅逓(上川国道・国道273号)が設置されました。 それにより、明治28年宮城県から本田喜市が越路27線に入地したのがはじまりで、これ・・・ (続きを読む)

東神楽町の旅 (ウパシの森)

明治25年、神居村から独立した当時の神楽村は、神楽、西御料地、東御料地の3地区でした。明治初期に上川離宮予定地のため御料地となっていました。 明治27年に忠別北・忠別南の貸し下げが行われ、忠別北に増・・・ (続きを読む)

中富良野町の旅 (ラベンダー)

明治28年、富山出身の伊藤喜太郎は岩見沢の幌向原野で開墾していましたが、西崎源右衛門と知り合い、西崎が中富良野に合力農場の交付を受けたため番人として入地しました。ところが密林で湿地だったため西Ⅰ線北1・・・ (続きを読む)

増毛町の旅 (千石場所)

ましけ町名はアイヌ語のマシケ(カモメの多い所の意)の説があります。 元禄時代(1688~1703)に増毛場所が開かれ、その後、宝暦年間(1751~1763)能登の商人・村山伝兵衛が場所請負人となり、和・・・ (続きを読む)

羽幌町の旅 (天売島・焼尻島)

はぼろ町の名の由来は、アイヌ語のハㇷ゚オㇿオペッ(ウバユリの鱗茎・そこ・多くある・川)からという説があります。 羽幌川には江戸時代から渡船場を設けアイヌ父子が渡し守をしていたといいます。明治18年に苫・・・ (続きを読む)