稚内市の旅 (野寒布岬)

野寒布岬(ノシャップ岬) 稚内市の北西部に位置する岬がノシャップ岬(野寒布岬)です。 ノシャップの語源は、アイヌ語で岬がアゴのように突き出たところを意味します。根室にある日本最東端の納沙布(のさっぷ)・・・ (続きを読む)

稚内市の旅 (抜海駅)

抜海(ばっかい)駅は、稚内駅を出発し南稚内駅~抜海駅と2駅目になります。 宗谷本線(旭川駅から稚内駅の地方交通線)の駅ですが、JR北海道によれば廃止を求めていた29の無人駅のうち、13駅について202・・・ (続きを読む)

稚内市の旅(北防波堤ドーム)

現在の稚内駅は、これまでに3回移動しています。 最初の稚内駅は現在の南稚内駅で1922年(大正11年)に開業。当時は宗谷線ではなく天北線でオホーツク回りでした。 1923年(大正12年)5月1日から、・・・ (続きを読む)

稚内市の旅 (九人の乙女の碑)

稚内公園に「九人の乙女の碑」があります。 太平洋戦争は1945年8月15日で終わった、と思っていましたが違いました。日本領だった樺太では8月15日の玉音放送後も続いていたのです。 太平洋戦争当時の電・・・ (続きを読む)

稚内市の旅(南極観測樺太犬記念碑)

稚内公園 稚内公園の一角に南極観測樺太犬記念碑があります。 昭和30年、日本が初めて南極観測に参加することが決まりました。 輸送手段に犬ゾリが選ばれ、稚内周辺から集められた樺太犬40頭は、昭和31年3・・・ (続きを読む)

音威子府村の旅 (村のはじまり)

音威子府村は国道40号線で旭川から稚内に向かうと、時間でいえば中間くらいになります。 JR宗谷線の駅では「黒い蕎麦」が人気で、早々に売り切れてしまうといいます。「北海道ゆかりの人たち・砂澤ビッキ」は良・・・ (続きを読む)

上富良野町の旅 (はじまり)

上フラヌ原野に植民区画が開放されても、交通の不便から開拓が遅れていました。 ところが、十勝線の工事開始と旭川村市街地の発展が大きな要因となり、入植者に人気が高まり団体移住では三重団体が225万坪の貸・・・ (続きを読む)

枝幸町の旅 (旧歌登町)

歌登町(うたのぼりちょう)は、北海道北部、宗谷支庁南東部に存在した町です。2006年、隣接の枝幸町と合併し廃止となりました。 町名の由来はアイヌ語のウタ-ヌプリ(すりばち型の-山)からです。 この・・・ (続きを読む)

猿払村の旅 (はじまり)

ホタテ 猿払のホタテは1856年松浦武四郎の「武四郎廻浦日記」のころから記録されています。 この村のホタテ漁は他と比較にならないくらい大きく、海の条件が繁殖に適していました。 1882年(明治22年・・・ (続きを読む)

留萌市の旅 (留萌のはじまり)

留萌のアイヌ かつてルルモッペといわれた留萌が漁場として開けたのは、1787年ころと言われています。 1807年には300人のアイヌが住んでいました。 この地には由緒ある家筋で裕福なアイヌたちが住ん・・・ (続きを読む)