米村よねむら 喜男衛きよえ  1892年(明治25年) – 1981年(昭和56年) 青森生まれ
郷土史家・考古学研究者 モヨロ貝塚博物館初代館長。

私は縄文時代の土器に興味はありません。しかし、網走の「モヨロ貝塚」だけは気になっていました。司馬遼太郎は『5世紀から10世紀にかけて縄文でも弥生でもない、異質な文化を持った民族がオホーツクに住んでいた。ところが、この民族は突然消えてしまった』と謎めいたことを語っていたからです。

博物館を訪れる前に、地元の人たちに「モヨロ貝塚」について聞いてみました。網走の人たちにはモヨロ人に親しんでいるようで気軽に応えてくれました。

「消えた民族」と答える人がおりました。ところが、網走川河口の近くにある観光土産のご主人は、対岸にある博物館を指さして「オホーツク人は5世紀から500年ほど、ここに住んでいたのさ。もともと今のサハリンの民族で、海を渡ってきた。ところが「元」が攻めて来るというので男どもは本国に呼び戻され、残った女たちは、その後登場したアイヌ民族に同化されていったのさ。消えたわけじゃない」と納得のいく説明をしてくれました。

ツギハギの土器がたくさん並んでいるのだろうと思って訪れました。ところが、これほど感動した考古学の博物館は初めてのことでした。

アイヌ文化とも異なる文化

網走の町を流れる網走川は、オホーツク海に注いでいます。その河口の砂丘に、いままで知られていた歴史的日本人とは違う人々が住んでいたことを発見したのが米村喜男衛でした。

米村は民間の考古学研究者で、東京の理髪店で働きながら各地の遺跡巡りをしていたのです。
大正2年(21歳)にアイヌ民族の研究で網走を訪れます。網走川河口の左岸に標高5メートルの砂丘台地があることに気が付きます。
この台地から発見した土器が、縄文文化ともアイヌ文化とも異なる文化であることに注目します。網走に住むことを決めて米村理髪店を開業し、傍らで遺跡の調査と研究に携わっていくことを決意しました。

この出土品群が基礎となり、昭和11年に現在の「網走市立郷土博物館」の前身が開館します。

オホーツク文化人の暮らしぶり

米村は初代館長として遺跡の保全に努め、同年に国の史跡に指定されます。
最寄(モヨロ)貝塚の名称は、当時のアイヌ人がモヨロ・コタンと呼んでいたことから、1918年(大正7年)米村によって名づけられたものです。

現在の館長は三代目で、孫にあたる米村衛です。博物館は網走市長の肝いりで平成25年にリニューアルされ、展示スペースが拡大されました。市長は網走だけでなく日本の財産でもあるので、より多くの皆さんに見てもらわなければならないと力説して、館の資金を確保したそうです。

そのために、それまでは考古学に関心のある人でなければ近寄れなかった施設の大改造を行いました。オホーツク文化人の暮らしぶりを、子どもから大人まで、来場者の誰でもが楽しく体感できるように工夫されたのです。
ドアーを開けると真っ暗で、竪穴式住居の中に入って体験できるようになったり、海獣狩猟民族であったオホーツク人は、アザラシやクジラなどを追って暮らしていたことが、実物大のセットを使って表現されたりしています。

一生を通じて遺跡の調査と研究

次の会話は館長(孫)が公開で語られたものです

「米村喜男衛は床屋さんで、アマチュアの考古学研究者でした。私にとっては幼いころ髪を切ってもらっていた普通の床屋のおじいさんという印象があります。
小さな頃から古代文化に非常に興味を持っていたようで、床屋の職人になってからも独学で考古学を勉強しているうちにアイヌ文化に非常に興味を抱くようになり網走にやって来ました。
小さな頃から遺跡を見て歩いていたので、貝殻がいっぱい落ちているのを見て、これは非常に珍しい遺跡なのではないかということを最初に感じて調査を始めたらしいです。そこで偶然モヨロ貝塚に出会い、一生を通じて遺跡の調査と研究に携わっていきました。 そういう意味では自分の好きな道を生涯歩んでいったという、大変幸せな人生を歩んだ人であったと思っております。」

何といっても、この博物館の特徴は住居・貝塚・墓の3点が揃っていることが挙げられます。博物館を出ると公園のような敷地になっており、住居跡を回ることができます。先ほど室内で体験した住居内部の実物がそのまま保存されているのです。直径十数メートルの大きな六角形の竪穴式住居の内部を覗くことができます。それは5世紀の世界そのままです。

驚いたのはお墓です。この民族は亡くなった人は、膝を折って仰向けに寝かせ頭に壺を被せて埋葬しているのです。壺の部分の土が盛り上がっており、その墓跡は今も保存されているのがわかります。

モヨロ貝塚博物館の敷地内全体が、1500年前をそのまま維持しているのです。内容の豊富なことから「西の登呂」に対して「東のモヨロ」と呼ばれています。米村氏は網走市名誉市民でもあります。

網走に行ったときは、是非訪れてみてください。