交通網の発達

大正時代に入ると、豊平町にもいくつかの交通機関が登場しました。
大正2年には、月寒から札幌の中心部まで客馬車が走ります。
大正7年には、豊平、平岸を通って定山渓に至る定山渓鉄道が開通。
大正13年には、路面電車が豊平川を越えて、豊平地区まで延びたのです。
また、同じころ、月寒まで乗合バスも営業を始めました。

定山渓鉄道豊平駅跡

昭和に入って間もなく、2年(1927年)には、路面電車を札幌市が買収し、市電となります。
バスや電車が行き交い、定山渓鉄道も交差していた室蘭街道(現在の国道36号)は、商店も建ち並び、まさに交通の要衝と呼ぶにふさわしいにぎわいを見せていたのです。

 

農業の盛衰

明治時代から始まった平岸地区のリンゴ栽培。

この「平岸リンゴ」の名は、全国的に有名になったばかりでなく、明治中期から後期にかけては旧ソ連のウラジオストックに、また、昭和11年(1936年)には試験的ながらシンガポールに輸出されるほどに栄えたのです。しかし、このリンゴ栽培も、宅地化の波にのまれ、次第に姿を消していくことになります。

札幌市との合併とその後の発展

徐々に都市化が進行していった昭和36年(1961年)、豊平町は、郷土のさらなる発展のため札幌市と合併しました。人口も増加の一途をたどり、交通体系にも変化の兆しが現れます。

自家用車の普及などの影響で、昭和44年(1969年)には定山渓鉄道が、また同46年(1971年)には市電豊平線が、それぞれ廃止され、代わって、同年、地下鉄南北線が開通したのです。

さらにその翌年の2月、冬季オリンピック大会が開催され、同年4月には札幌市が政令指定都市となり、区制の施行に伴って豊平区が誕生しました。

昭和49年には、現在の豊平区役所庁舎が完成。環状通の区役所付近から国道36号にかけての中央分離帯にはリンゴの木が植樹され、リンゴ並木として整備されました。

平成6年(1994年)には、地下鉄東豊線が福住まで延長され、平成8年(1996年)には人口も30万人を突破。翌9年(1997年)には、清田区が豊平区から分区。

そして、平成13年(2001年)に札幌ドームが羊ケ丘に誕生。
豊平区のシンボルとなるドームでは、各種のスポーツ・文化のイベントが開催され、また平成16年(2004年)には北海道日本ハムファイターズの本拠地となり、多くの人たちがこの施設を訪れています。

写真は月寒にある「月寒2里塚の碑」です