木古内町の旅 (咸臨丸)

木古内駅は北海道新幹線が最初に上陸する駅となり、大きな駅になりました。
また、道の駅「みそぎの郷 きこない」が駅前に作られ見間違うほど広くなりました。

かつての木古内駅は正面に船模型をモニュメントに設置していました。
この船は「咸臨丸」を模したものでした。勝海舟などを乗せて太平洋を渡った船は、明治4年9月20日に木古内のキサラ岬で沈没しました。
栄光の咸臨丸も明治初期には、新政府の輸送船となっていました。
仙台藩(白石支藩)の家臣401名を乗せて函館から小樽に向かう途中に座礁し、木古内の漁師が船を出して助けました。全員助かりましたが、移住のための荷物はすべて海の中。翌日函館から後続の輸送船に乗り無事に小樽に到着しました。
この船に乗り合わせていた人たちが、現在の札幌市白石区と手稲区の開拓者たちです。
白石区を切り開いた人たちは、豊平区の月寒公園にあった掘っ立て小屋で寝泊まりし、2キロを往復して現在の国道12号を白石神社まで切り開いて住まいを作りました。あまりの早さであったため、当時の開拓使長官が故郷の地名「白石」を村名にしました。
木古内町では、毎年8月に「咸臨丸祭り」をキサラ岬で開いています。