しかべ町名の由来は、アイヌ語のシケルペ(キハダのあるところの意)の当て字から。

14世紀頃から尾札部から鹿部沿岸一帯に良質の昆布を採取、交易するアイヌがいたといいます。
1615年、青森県下北郡の漁業者四司馬(ししめ)宇兵衛が鹿部本別に移住し、開村の祖といわれています。

鹿部からの駒ヶ岳

1640年には駒ヶ岳が噴火し、多大な被害を受け、出稼ぎ人は撤去しましたが移住者は踏みとどまりました。

寛文6年(1666年)に津軽から訪れた伊藤源五郎は、温泉で傷を癒す一頭の鹿に遭遇します。源五郎はここに温泉場を設置、やがて鹿部の温泉は多くの人々に知られる様になりました。
泉質は硫酸塩泉・含食塩硫酸塩泉・重曹泉などバラエティーに富んでおり、 神経痛やリウマチ、慢性消化器疾患など幅広い効能があります。

野生の鷹の多さから「鷹待(たかまち)」と呼ばれ、鷹が幕府への献上品とされた時期もありました。 

函館港が開港すると主に中国向けに昆布の輸出が盛んになります。
1856年にも駒ヶ岳が噴火し大災害となりますが、これも克服し、軍川山道・川汲山道も敷設され往来が多くなりました。

鹿部漁港と駒ヶ岳

昭和4年(1929年)にも駒ヶ岳噴火により被害を受けますが、下賜により災害から復旧し昭和9年に鹿部漁港が竣工し翌年漁業組合も設立しました。

基幹産業は漁業で、コンブのみならずスケソウダラ・サケ・タコなどを水揚げ、特に「タラコ」は名産品となっています。

 

 

しかべ間歇泉(かんけつせん)公園

渡島半島の東部に位置し、駒ケ岳を背に太平洋に面した噴火湾の入り口にあるため温暖で、全国でも数少ない「間歇泉」のある温泉のまちです。
町内には至る所に温泉源があり、その数なんと30ケ所以上。しかもそれぞれ泉質が異なっています。
間歇泉とは周期的に地面から噴き出す温泉のこと。
鹿部の間歇泉は大正13年4月、温泉を掘っているときに偶然見つかった日本でも大変珍しいもので、自然の力だけで約100度の熱湯を最大約15m以上の高さまで断続的に噴き上げています。