えんべつ町名の由来は、アイヌ語のウェンペッ( 悪い川)から。
何が悪いのかは不明ですが、松浦武四郎は「魚類至って少なし」また国鉄総長は「ここの川は水質が悪く、飲めないため」との説があります。

金浦原生花園

明治29年に植民区画が設定されますが、それ以前は明治20年に白幡源太郎なる人物が漁業をしながらの開拓。富山出身の吉田五郎左衛門が道庁の紹介で明治21年に本原野に入地。明治28年に伊藤金左衛門が入地の3人と秋田県人の駅逓農家・恩田昌章とアイヌ人2戸だけでした。明治30年、愛知・越前団体が遠別原野に入植し開基となります。ウツツ原野には須藤第2農場が誕生しました。
明治30年ころより砂金が採取されていました。しかし、砂金取りに入っていた掘り師は明治34年の大洪水で犠牲になりました。
同じころ、南山仁太郎が試行錯誤の末、水稲栽培を成功させます。大正12年に堰堤を設置したことにより米作が進展していきました。昭和7年から乳牛も導入され、戦後は温冷床苗などの開発で北限の稲作振興に努めました。
稲作のほかに、北限のメロン栽培もおこなっています。

留萌管内北部で稚内市と留萌市を結ぶ国道232号「日本海オロロンライン」の中継点になります。国道に道の駅「富士見」があり、晴れた日にはドライブコースとして最適で、誰もが道の駅で一休みして利尻富士を眺めます。
日本最北の米どころとして、良質なもち米が生産されるほか、メロン、ホウレンソウ、アスパラガスなどの野菜も生産しています。漁業は、ほたての稚貝を養殖し生産地へ出荷。魚介類に付加価値をつけ生産・販売をしています。