この地は、文化年間(1804年~1818年)に松前藩がアイヌと交易をし漁業を行った十勝場所として開けました。

豊頃町の位置

最初に和人が定住したのも大津地区で、1863年に青森県の堺千代吉とされています。

明治13年に大津外四郡戸長役場が置かれ、この町の開基と定めていますが、本格的に開拓の手が入ったのは、明治24年富山県から下牛首別に入植したことに始まります。

明治25年、囚人の手により大津~芽室間の道路が完成し、十勝の開拓が内陸に向けて進められます。

大津地区には「十勝発祥の地」碑が立っています。

尊徳二宮神社

明治30年、二宮尊徳の孫尊親が牛首別に1500㌶の払い下げを受け、福島県の復興社16戸を入植しました。

このことは北海道ゆかりの人たち「二宮尊親」に詳しく書いてあります。

 

戦後、湿地となっていた牛首別川の旧流路に沿って新川が開削され、広い沖積地を利用して畑作と酪農が行われています。
古くから始まった漁業は、十勝川を遡上するサケの沿岸定置網を主とし、近年はクロゾイの種苗中間事業も始まっています。