市名の由来は、市内中央部を流れる藻鼈川を指すアイヌ語のモベッ(静かである・川)から。

オホーツク海沿岸の数少ない天然の良港として、貞享年間(1684年~1687年)に松前藩がその直領としていた宗谷場所から斜里場所へ至るオホーツク海沿岸の寄港地として利用したのが始まりでした。

明治13年には紋別村外9カ村戸長役場を設置。
明治23年、竹内芬吉が入植し農園経営を始めたのが紋別における専業農家のはじめとなり、10年後には小向駅逓所の取扱人となりました。
道路の開削や国鉄名寄線の開通(大正10年)により発展を続けました。

大正4年に発見された鴻之舞鉱山は2年後住友金属鉱山が買収、最盛期の昭和15年頃は年産2・5トンの金と46トンの銀を産したが昭和48年閉山。

ホタテ

昭和29年、紋別町・渚滑村・上渚滑村の合併により、漁業・農業・鉱業を基幹産業とする人口3万6000人の「紋別市」が誕生。

オホーツク海を目の前にして、カニ・ホタテ・サケを水揚げし水産加工も盛んです。

昭和50年には紋別港が重要港湾に指定され、国際貿易港として整備が進んでいます。平成11年に新オホーツク紋別空港が開港し、東京直行便が往復就航しています。

 

ガリンコ号

我が国唯一の氷海域であるオホーツク海の特性を生かし、冬季はガリンコ号によるクルージングが行われ、オホーツク流氷科学センターや氷海展望塔など流氷を観光資源として活用しています。

また、夏季は花観光や釣クルーズ体験、コムケ湖と湖畔の原生花園、オムサロ原生花園とオホーツクの自然を利用した観光にも力を注いでいます。