稚内を「わっかない」と読める人は鉄道ファンでしょう。
2012年に駅が新しくなり、昔の面影は跡形もなくなりました。

「道の駅わっかない」が駅舎内に設置されましたが、ただハンコを押すだけの人で写真コーナー「最北端の線路」があるだけです。

この駅が廃駅の危機を向かえています。
宗谷本線の乗客数が少なく、名寄から稚内間の乗客数が少ないためです。もしそうなれば、日本の最北端の駅は「名寄駅」になります。今の北海道はどんどん鉄路が消え、過疎地が増えていきます。

旭川から北に向かって国道40号と宗谷本線が並走して走っています。名寄・美深を過ぎて、音威子府村で国道は左右に分かれます。右は国道275号となりオホーツク海の浜頓別にでます。かつては、稚内への鉄道はこの道と平行に走る天北線でした。日本海側(今の宗谷線)との争いとなり、政治家を巻き込んでの鉄路でした。
左に進むと40号線で現在の宗谷本線が続きます。中川町・豊富町を過ぎると稚内市で宗谷湾に突き当たります。左折すると南稚内駅が見えてきますが、大正11年に開業した駅で、これが元は天北線の終着駅でした。

稚内港北防波堤ドーム

今の稚内駅が出来たのは、翌年の大正12年です。日本の統治下にあった南樺太大泊町に連絡する鉄道連絡船「稚泊航路」への接続のため開業したものです。
稚内駅から更に北に「稚内港駅」が出来たのは昭和3年になります。
稚内港北防波堤ドーム(北海道遺産)が作られたのは昭和11年で、乗船客を波から守るためにつくられました。駅を降りて、この桟橋を渡り乗船したのです。

今は宗谷湾を望む北埠頭のシンボルとなりました。強風と荒波を防ぐ全長427mで、世界でも珍しい半アーチ形ドームは円柱70本ありゴシック建築を模した重厚な建造物です。
戦前は、南樺太までが日本領土だったので、この稚内が連絡港としてにぎわったのですが、終戦間際に暗い出来事もありました。
(稚内公園に上ると記念碑やサハリンの島影を見ることが出来ます)

野寒布岬(ノシャップ岬)

稚内という町は、一日や二日程度では知ることができない町です。
野寒布岬(ノシャップ岬)
市街地を北に行くと野寒布岬があります。(根室の最東端の岬は「ノサップ岬」)紅白の縞模様になった稚内灯台がひときわ高くそびえ、晴れた日には利尻富士を見ることができ、夕陽には多くの観光客で賑わいます。

 

 

 

宗谷岬

日本国土の最北端は宗谷岬になります。稚内駅からバスで40分ほど宗谷湾に沿って東に行かなければなりません。最北端到達証明証を発行しており、ここに来た人でなければ買う事が出来ません。
しかし、バスで行っても岬で写真を撮る程度で、高台に上がって全体を見るとなれば大変なのでレンタカーが良いでしょう。