蝦夷の寛永年間に厚岸場所が置かれ、1701年に厚岸場所を分けてキイタップ場所が設置されました。

霧多布岬

明治に入り、諸藩分領により佐賀藩が支配する事になりましたが漁場持ちの榊富右衛門が漁民を募集し、アシリコタンに定住させたのが今日の榊町の発祥となりました。

この地が海産干し場が開け、ニシン・コンブ漁が盛んであったといいます。
榊海岸は港として不適格であったため、キリタップ島が着目され中心市街地として発展しました。
旧佐賀藩も農民を移住させましたが、交通の不便・気候の不順から失敗に終わり、漁業中心の村落形成が成されていきました。

明治元年に相模国出身の五味兼吉が渡道し、回漕業を営んでいましたが西南戦争で汽船を供出し、明治12年霧多布に移住しこの地の発展に貢献しました。
明治19年、霧多布橋の工事がはじまり、榊から霧多布への移民が続出しました。

明治31年、霧多布湾が定期航路の寄港地となり、明治35年に貰人(もうらいと)駅逓が開設され菊池豊次郎が取扱人となりました。
大正8年、根室線が開通し、浜中・茶内駅が開業。

大正期にはヨードと塩化加里が需要を拡大させ、その原料となるコンブ生産地帯は好況に湧きました。

この時にこの地が全国屈指の生産地となりました。

 

 

 

 

 

天然記念物の町

面積3200㌶の四分一である803㌶が天然記念物に指定されています。

高山植物が生育する霧多布湿原やハクチョウの飛来する火散布沼(ひちりっぷ)、琵琶瀬湾口にある嶮暮帰島は全島がエトピリカ・ウミウ等海鳥の繁殖地で、琵琶瀬展望台からは湿原の中を蛇行して流れる琵琶瀬川を望むことができる自然豊かな町です。