簾舞川(みすまいかわ)は、札幌市南区を流れる豊平川支流の河川。

川の名は、アイヌ語で「峡谷があるところ」を意味する「ニセイ・オマプ」。
これが訛って「ミソマップ」になり、現在の「みすまい」になったといいます。
しかし、はじめて簾舞の標識を見て読める人はいないでしょう。

簾舞通行屋は、現在の簾舞中学校あたりに作られたとされています。

明治4年に開通した本願寺道路の宿場が目的でした。
札幌から定山渓を経て有珠へ往来する旅行者や、荷物を運ぶ人馬の宿泊・休憩所として、開拓使によって明治5年に建築されました。明治期にはすでに湯治場だった定山渓に行くには、途中の休息する場所はここだけでした。

当時の政府の命を受けて屋守となったのは、九州の福岡出身の黒岩清五郎です。
札幌に残る唯一の通行屋であり、この地区最古の開拓農家です。札幌本道の開通により明治17年に廃止されます。
黒岩家は明治19年の有珠街道の開通後、物資の運搬に関わり旅館業を続け、地域の開発に尽力しました。

現在は、「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)保存会」が収集した地域の歴史を伝える写真や、道具類を展示しており手作りの郷土資料館として活用されています。

駐車場は写真の右にある櫓との間に若干数あります。