当別町の阿蘇公園に隣接して「当別神社」があります。
この神社の敷地内に「吾妻謙君之碑」という大きな碑が聳えるように建っています。

碑には「吾妻謙君」という名前が彫られていますが、「吾妻謙」を知る人は少ないと思います。

吾妻謙(あづまけん・又はあがつまけん)

1869年(明治2年)9月、岩出山領主伊達邦直は仙台藩の中で先陣を切って北海道開拓を発表します。家老であった吾妻謙を開拓主事に任命、北海道開拓志願書を新政府に提出しました。
明治維新の際に奥羽越列藩同盟に参加した岩出山は官軍と交戦。
山形で勝ち戦功を挙げたが、味方の多くは官軍に下ったため戦に敗れました。

戦後、それまで14000石あった禄高を65石に減封、城は召し上げられ家臣の士分を剥奪されました。
侍ではなくなった家臣たちは帰農を命ぜられましたが、邦直は彼らが路頭に迷うことを憂い、私財を処分して得た資金で、新政府の推し進めていた北海道開拓を志願します。
願は許され、1869年(明治2年)に石狩国空知郡の支配を命ぜられます。

しかし、この空知郡は石狩川の氾濫地域で、内陸部であったため物資の輸送等が困難。海岸近くへの移転を申し入れました。
ところが、これが叶わず再度家老の吾妻謙が太政官に申し入れたところ、今度は不届きを理由に吾妻が自宅謹慎を命ぜられる始末でした。

「吾妻謙」を主人公として映画「大地の侍」が昭和31年に制作されました。
吾妻謙の役は大友柳太郎。映画の一部は近くにある「伊達記念館」で見ることができます。