広尾町出身の政治家で農林水産大臣、科学技術庁長官などを歴任した中川一郎衆議院議員の記念館。

生前の愛読書や遺品を展示、写真パネル、モニター映像などで功績や人柄を紹介している。「北海のヒグマ」との愛称で親しまれた異色の政治家。

自由民主党総裁選に立候補して破れた後3か月もたたない1983年1月に、突如57歳で早世。

1925年(大正14年)に北海道に生まれた中川一郎は、十勝農業学校、宇都宮高等農林、九州帝国大学農学部(農業土木)で学び、父の悲願どおり北海道庁で役人生活を始めるが、酒の飲みっぷりがいいという理由で、北海道開発庁長官になった党人政治家・大野伴睦(1890-1964年)の秘書になり、大野を生涯の師としました。

その後、緒方竹虎長官の秘書もつとめ、政治への志を持つ。

中川一郎の座右の銘は、「真実一路」。親孝行でも有名でした。
またよく歌う唄は「星影のワルツ」で「仕方がないんだ、君のため」の君を国に置き換えて歌っていました。北海道出身の横綱千代の富士の後援会長でもありました。

記念館から天馬街道を走ったところに「中川一郎農林水産大臣生誕の地」という碑が建っています。