「ほろのべ」の由来はアイヌ語で「ポロヌタプ」(大きい・野の出っ張り=川の湾曲)を意味する「ポロヌプ」との説があります。

明治11年 天塩国に、幌延村・天塩村・沙流村が誕生。
明治23年にトイカンベツ(幌延津町問寒別)の天塩川沿いが御料地となります。
明治32年 、下サロベツ原野に福井県団体15戸が入植したが1年足らずで離散しましたが新たに個人で開拓を始めました。山本日聡の経営で法華寺農場、山館幸八らの天塩農場、長門勇輔が開き西田三郎が管理人になった本願寺農場が設置。この年が幌延町の開基となりました。
大正8年、問寒別で砂金が発見。大正14~15年にピークを迎え衰退します。
大正12年に宗谷線が問寒別まで通じ、大正14年には問寒別幌延間開通。大正15年には稚内まで全通し人口が増加しました。
昭和に入り砂クローム・石炭鉱業も稼働。終戦の年にクローム関係者が264世帯となり、昭和35年には人口7400人強で町施行となりました。
昭和59年から高レベル放射性廃棄物施設の誘致問題で揺れ、平成10年には新しい申し入れ「深地層研究所計画」の受け入れをめぐって議論を呼んでいます。

幌延ビジターセンター

サロベツ原野は豊富町と幌延町の海岸線沿いに広がる湿原です。独特の植生が豊富に見られることから、一部の区域は特にサロベツ原生花園と呼ばれることもあります。
2005年にラムサール条約に登録。上サロベツ原野と下サロベツ原野に分かれ、下サロベツ原野は幌延地区で利尻礼文サロベツ国立公園の特別保護地区となります。ペンケ沼、パンケ沼といった沼地が点在します。
稚咲内から道道106号を南下するとオトンルイ風力発電が見え、この手前の道道972号を左折するとビジターセンターがあります。
サロベツを代表する動植物や湿原の成り立ちを解説するパネルや標本、写真を展示しています。また、近くには周辺の湿地や下記パンケ沼園地まで続く木道散策路と、原野と利尻富士を一望する展望塔も設置されています。