「てしお」の名は天塩川に由来。

鏡沼海浜公園にある、松浦武四郎像と歌碑

明治24年、道庁の植民地選定事業が行われ、最初の賃下告示は明治31年の四原野(オヌプナイ、ウブシ、サラキシ、天塩川口)でした。
越中団体をはじめとし、宮城県・福井県などからも団体入植者が入ってきて本格的な開拓がはじまりました。しかし、寒冷のため収穫は不安定で、ニシン・サケを中心に様々な魚介類がこの地の発展を支えました。

明治末から大正にかけての木材景気により、急激な人口の増加がもたらされ市街地の拡張や商工業の発展となり大正13年に天塩町を施行となります。

昭和10年6月30日、天塩線(後の羽幌線)幌延~天塩間、振老・北川口・天塩駅と開業します。それまでの小樽までの海路に鉄道が加わり、旭川・札幌方面への新たな物資流通が開け発展をしていきました。

昭和27年、既存の農協が合併し新たな天塩酪農業協同組合が発足、大規模草地改良事業などに取り組み、基幹産業としての地位を確立しました。
昭和62年3月30日 、羽幌線が廃止し沿岸バスにバス転換。

鏡沼しじみまつり

しじみつかみ

天塩川河口に開けたこの町は、北海道らしい大ぶりなシジミの産地として有名。「鏡沼しじみまつり」は、天塩町特産のしじみにちなんだお祭りです。

メインイベントは、しじみのつかみ取りで、毎年鏡沼を埋め尽くすほど多くの人でにぎわいます。

ほかにも、特産品のしじみ貝の即売会をはじめ、カヌーの体験試乗、歌謡ショー、大人気のしじみ汁の味覚コーナーなど催しが盛りだくさんの体験型イベントがあります。