あつま町名の由来はアイヌ語のアットマム(向こうの・湿地帯)の説があります。

1640年の駒ヶ岳噴火で津波が押し寄せ、難を逃れたアイヌ30戸が浜厚真に移住し漁で生計を立てていたと記録があるようです。

日高本線・浜厚真駅

1800年に南部藩士・森田勘十郎らが浜厚真に移住したのが、和人定住の最初です。
しかし、本格的に開拓が始まるのは明治2年に新潟県人青木与八が勇払から厚真に入植し、同じころに高津熊蔵らも入地しアイヌの人たちと雑居し、食住をともた時からでした。
その後、青木は旅人宿を経営し、苫小牧~日高間の客を迎え、明治35年に官設駅逓が設置されると浜厚真駅逓の取扱人となりました。

明治19年に札幌県に属するようになり移住者が入ってきます。
更に浜厚真~日高間、早来~振老間の道路が開通し人口が増えてきました。

ハスカップ

夕張山地から太平洋へと南流する厚真川の流域をほぼそのまま町域としており、南北に長く中心市街地である本町は厚真川中流付近にあります。
厚真川の流域に水田と畑が広がり、稲作とジャガイモ・メロン、ハスカップ加工品などを製造しています。

 

 

2018年9月6日、北海道胆振東部地震により、甚大な被害を受けたのは中央部でした。

新日本海フェリー

太平洋に面している浜厚真・上厚真地区は、苫小牧の東部工業地域に続く地域として開発が進んでいます。
苫小牧市との境に苫小牧東港があるほか、北海道電力苫東厚真発電所や石油備蓄基地が置かれています。