大滝村(おおたきむら)は、2006年3月1日に伊達市へ編入され、伊達市の地域自治区「大滝区」となりました。壮瞥町を間に挟むため、飛地となっています。村名は、村の名所である三階滝に由来しています。

明治27年、最初の入植者永井五郎兵衛が優徳に入り居住。永井は狩猟目的入り、願い出無しの移住でしたが村の草分けとなりました。

橋口文蔵

明治29年北湯沢温泉町付近に橋口文蔵が払い下げを受け優徳の開発が進みます。
橋口は鹿児島の士族出身で、官費で明治12年マサチューセッツ農科大学に留学、2年後に戻り農商務省に勤め、その後この地に入りました。

明治33年、植民区画の測量が完了すると翌年貸し付けが始まり次第に入植者が増えてきます。
明治35年、岐阜の木材商人早瀬吉松は長流川を利用し木材を道外に送りました。

第一次大戦の好況で大正4年に壮瞥村から分村、徳舜瞥(とくしゅんべつ)村と称し、その三年後に人口も最大となりました。
(優徳という地名は徳舜瞥の中で特に優れていると意味です)
昭和25年に村名を大滝村と改称。

戦後はアスパラガスの栽培や酪農近代化、肉牛振興計画を行い、村営牧野も設置しました。昭和45年に過疎地域の指定を受けていました。

大滝村

明治10年代に発見された横山温泉。
明治30年代から営業している北湯沢温泉・
ホロホロ山(1,322m)・徳舜瞥山(1,309m)周辺は、支笏洞爺国立公園に指定されております。
三階滝や白絹の床などの景勝地にも恵まれた自然美豊かな村です。