ななえ町の前身は明治12年の七飯村で、七重村と飯田村が合併したものです。
飯田村は安政年間にこの地に移住した八王子千人同心組の頭取飯田甚兵衛にちなんだもので、七重村はアイヌ語のヌアンナイ(豊かな沢・漁のある谷川の意)という説があります。

この地は1800年代から稲作が行われていました。
箱館開港後は外国人の食料供給用に肉・乳牛の飼育も行われ、搾乳販売は日本における始まりといわれております。
また、幕府により薬草園も作られ、元奥詰医師で箱館に5年間暮らし、その間病院経営などにもあたっていた栗本鋤雲がおりました。

1865年箱館駐在となったプロシアの副領事ガルトネルの兄が、箱館奉行所に許可を得て亀田の鍛冶村で西洋農法の開墾に着手。
明治元年、当時蝦夷地を占拠していた旧幕府軍に七重付近の開墾計画を申し出て、約1000㌶を99年間借地する契約を結びました。
しかし、外国資本を排除しようとする新政府は賠償金6万2500ドルを与え、この約定を破棄しています。

三菱商会
川田龍吉

明治39年、高知県生まれの川田龍吉男爵は鳴川に農地を購入、翌年イギリスから数種のバレイショを輸入、その中のアイリッシュ・コブラーが男爵イモとして広く栽培されることになりました。

昭和32年に町制を施行しています。

 

 

 

大沼国定公園

大沼だんごも健在

大沼国定公園は七飯町・鹿部町・森町の3町にまたがっています。
道南の秀峰駒ヶ岳(1,131m)と、その山麓に点在する大沼、小沼、蓴菜(じゅんさい)沼の大沼三湖があり、山と湖の景観が一体。

1859年(安政6年)に函館が開港されると外国人が訪れるようになりました。
湘南の江の島と同じで、外国人が行楽で行ける範囲がここまででした。
明治14年に明治天皇が本道へ行幸した際には休憩に立ち寄るなど、古くから道南随一の景勝地として知られていました。