えりも町(えりもちょう)は、北海道南部、日高振興局管内にある町です。
北海道の中央部を縦断する石狩岳~大雪山~十勝岳連峰~日高山脈と聳え、太平洋に突き刺さるように落ち込むところが襟裳岬です。

蝦夷の時代に幌泉場所として慶長年間には開かれており、アイヌ民族の一大蜂起シャクシャインの乱で敗北したアイヌは被支配者となっていました。
1809年にはアイヌ人45戸177人が居住し、和人は出稼ぎで昆布・ニシン漁を行っていました。

明治3年、青森県の阿部林次が近呼村に、山梨県からは守田安右衛門が油駒村に入植するなど和人が移住するにつれ、アイヌ人は広尾方面に移っていきました。
新潟県の長岡庄兵衛が岩手・石川から27戸の漁民を募り、庶野(しょや)に入植し、後に庶野駅逓の取扱い人になっています。

コンブ漁

明治5年、移住者の増加に加えコンブ漁の配分によって昆布漁が栄えます。
その後、漁業の不振から農業に従事する者も現れ、明治27年頃から土地貸付の出願者が増加し、油駒の守田安右衛門は7万2千坪を持ち開拓したといいます。

しかし、漁業中心で農業は副業程度で農業適地が少ないうえ、濃霧や強風の気象条件が災いし進展をみませんでした。
昭和の初期から搾乳を始めていましたが、戦後になって畜産・酪農が奨励されます。

昭和43年には桜岡地区の開拓パイロット事業、2年後には道営肉牛中央牧場の設置が行われました。

昭和34年に幌泉町制施行、昭和45年にえりも町に改称しています。