居辺線(おりべせん) 現在の中川郡池田町内の省線ー後に国鉄ー池北線(⇒北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線⇒廃止)の高島駅前から現在の河東郡士幌町(旧士幌村)東南の下居辺地区へ通じていた18.8キロの植・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 46 (養老牛線)
標津線の計根別駅と、標津川に沿って北西に上った養老牛(ようろううし)を結んだ植民軌道でした。 中標津原野の養老牛に移住者が入植したのは昭和4年ですが、3年後の昭和6年には低温、多雨、霜で凶作となり、離・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 45 (忠類線)
「忠類」と言えば十勝管内の忠類村(現在は幕別町)と思いきや、鉄路となれば現在の標津郡標津町の川北地区から北標津地区を経て古多糠地区へと通じていた路線です。 現在の標津町内になりますが、植民軌道根室線の・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 43 (北海道植民軌道)
北海道植民軌道は北海道だけの軌道 昭和47年5月に「浜中町営軌道」を最後に北海道の簡易軌道(植民軌道)はすべて廃止になりました。 大正14年5月から、根室線厚床から中標津原野まで試験的にはじまった植民・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 41 (標津線)
標津線は根室線の厚床駅から分岐して別海の大平原を北へ進み、釧網線の標茶駅への中継地である中標津駅に至り、さらに北東に向かってオホーツク海岸の根室海峡に面する標津駅までの69.8キロの鉄路と、中標津駅か・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 36 (釧路臨港鉄道)
釧路臨港鉄道 臨港線(りんこうせん)は、太平洋石炭販売輸送が運営していた太平洋炭鉱春採鉱と釧路港知人町の臨港を結ぶ、石炭輸送を主とした地方鉄道です。 釧路市の鈴木宗竹ほか6人によって大正12年1月出願・・・ (続きを読む)
「ジョセフ・ユーリー・クロフォード」を加えました
北海道ゆかりの人たちに「ジョセフ・ユーリー・クロフォード」を加えました。 明治11年に北海道開拓長官黒田清隆がアメリカから招いた鉄道技術者です。 クロフォードの記念館は小樽の手宮と三笠の記念館に、銅像・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 26 (軽便鉄道法)
明治末期の北海道の鉄道敷設は政党、地元有力者、企業、住民など様々な絡みを持ちながら進められました。 そうして、明治43年2月に軽便鉄道法案が議会に提出されます。 この法案は、出願手続きを容易にし、何よ・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 25 (旧士幌線3)
タウシュベツ川橋梁(タウシュベツがわきょうりょう) 1937年(昭和12年)にタウシュベツ川橋梁が竣工されました。 1955年(昭和30年)に、水力発電用人造ダム湖である糠平ダムが建設され、清水谷駅~・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 23 (旧士幌線2)
士幌線は起点が帯広駅で終点が十勝三股駅の路線総延長78.3キロでした。 この間に20駅ありましたが、実際の停車駅は15、仮の乗降場3、バス停2です。 帯広市→音更町→士幌町→上士幌町と4つの町を縦断し・・・ (続きを読む)