鉄道が国有化され、青函航路の輸送量が急増しました。青森と函館に輸送しきれない貨物が山積みになりました。 鉄道院では「客載貨車渡船」の建造を決定します。 函館には大正11年8月に第一、第二の岸壁工事がは・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 74 (地方鉄道22路線)
大正11年4月10日、国有鉄道の地方支線の改正鉄道敷設法が公布されました。 これにより支線建設が法律で義務付けされ、毎年各地方に短距離の敷設工事の助成金をバラまくことができ、政友会内閣の基盤を確立しよ・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 73 (原敬内閣による地方鉄道)
1918年(大正7年)、政友会を率いる原敬によって日本国初の政党内閣が成立しました。原内閣の政策は4つありましたが、その一つに「交通機関の整備」がありました。 工業化から取り残された地方や農村の生産・・・ (続きを読む)
倶知安町の失われた風景 (昭和41年)
道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われて・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 43 (北海道植民軌道)
北海道植民軌道は北海道だけの軌道 昭和47年5月に「浜中町営軌道」を最後に北海道の簡易軌道(植民軌道)はすべて廃止になりました。 大正14年5月から、根室線厚床から中標津原野まで試験的にはじまった植民・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 39 (瀬棚線)
瀬棚線 長万部町の国縫駅で函館本線から分岐し、渡島半島を横断して檜山振興局管内の瀬棚郡瀬棚町の瀬棚駅に至る路線でした。 1987年(昭和62年)3月16日に廃止されました。 本線開通以前には、国縫駅と・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 27 (上磯軽便線)
上磯軽便線のはじまりは、現在の道南いさりび鉄道(函館~木古内間)の上磯駅付近で産出された石灰石を函館に運ぶ為に1913年(大正2年)国有鉄道上磯軽便線として上磯~五稜郭間を狭軌(1067mm)で開業し・・・ (続きを読む)
「ジョセフ・ユーリー・クロフォード」を加えました
北海道ゆかりの人たちに「ジョセフ・ユーリー・クロフォード」を加えました。 明治11年に北海道開拓長官黒田清隆がアメリカから招いた鉄道技術者です。 クロフォードの記念館は小樽の手宮と三笠の記念館に、銅像・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 26 (軽便鉄道法)
明治末期の北海道の鉄道敷設は政党、地元有力者、企業、住民など様々な絡みを持ちながら進められました。 そうして、明治43年2月に軽便鉄道法案が議会に提出されます。 この法案は、出願手続きを容易にし、何よ・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 17 (昭和9年の鉄道路線図)
北海道の昭和9年当時の鉄道路線図 北海道の炭鉱が全盛期時代は、岩見沢を中心に鉄道が張りめぐらされています。 昭和9年の記事を調べてみると、次のような時代でした。 東海林太郎の【赤城の子守唄】が発表。映・・・ (続きを読む)