1918年(大正7年)、政友会を率いる原敬によって日本国初の政党内閣が成立しました。原内閣の政策は4つありましたが、その一つに「交通機関の整備」がありました。 工業化から取り残された地方や農村の生産・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 66 (枝幸線・幌別線・本幌線)
宗谷地方の中頓別村(現在の中頓別町)の小頓別から歌登村(2006年に枝幸町と合併)を経て、オホーツク海沿岸の枝幸村(現在の枝幸町)までの植民軌道です。 昭和2年以降、歌登村が開拓移住民の入植が増加し、・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 65 (問寒別線)
問寒別線(といかんべつせん) 宗谷本線の問寒別駅前から問寒別川上流の上問寒別に至る13.3キロの植民軌道です。 昭和4年7月に工事がはじまり、翌5年9月に完成し馬力で使用開始となりました。農産物をはじ・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 64 (幌延線)
幌延線(ほろのべせん) 宗谷本線の幌延駅前を起点として、南沢を経て北沢(現在の豊幌)までの植民軌道です。 下エコロベツ川上流の南沢や北沢には明治40年ころから入植がはじまります。 昭和初期には120戸・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 44 (仁宇布線)
仁宇布線(にうぷせん) 宗谷本線の美深駅とニウブ川上流域の仁宇布を結ぶ植民軌道です。 仁宇布は美深から20キロ余りのところにある集落で、その奥地は豊富な森林地帯で早くから開発が望まれていました。 昭和・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 43 (北海道植民軌道)
北海道植民軌道は北海道だけの軌道 昭和47年5月に「浜中町営軌道」を最後に北海道の簡易軌道(植民軌道)はすべて廃止になりました。 大正14年5月から、根室線厚床から中標津原野まで試験的にはじまった植民・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 38 (天塩線ー現・宗谷本線)
天塩線とは、音威子府から天塩川に沿って天塩の中央を縦断し、先に開通していた宗谷線(のちの天北線)の稚内に連絡する地方線のことです。 音威子府以北の線路選定については、北見国経由か天塩国経由かが議論され・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 37 (宗谷線ーのち天北線)
旭川ー稚内間の建設工事は明治31年6月から始められ、明治36年9月には名寄まで開通しましたが、名寄以遠は日露戦争勃発となり中止されました。 明治39年、樺太南部が日本領土となり地元有志たちによって請願・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 35 (旭川市街軌道)
旭川市街軌道 旭川市に存在した路面電車・バスの運営会社。 旭川市は1901年(明治34年)に陸軍第7師団が移設されて以来、軍都として栄えました。師団施設の置かれた近文地区と旭川駅前を結ぶ交通機関として・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 31 (旭川電気軌道)
旭川電気軌道 旭山動物園(旭川市)が作られた場所は、東旭川の西側にある旭山公園の一角です。かつて旭川電気軌道東旭川線が公園まで走っていました。 大正14年3月、旭川市と東川町を結んだ電気軌道を目的と・・・ (続きを読む)