海路で根室に行くこともできました。 箱館の北洋漁業の基を築いた「高田屋嘉兵衛」が活躍したのはこの時代です。 『寛政12年(1800年)3月、手船辰悦丸(1500石積)に乗った高田屋嘉兵衛は、図会船およ・・・ (続きを読む)
琴似屯田兵 4 (屯田兵村)
屯田兵の設置は、明治8年の琴似兵村に始まって明治32年の士別、剣淵兵村までおよそ25年間に渡って行われました。 開拓使が廃止される明治15年までは、琴似、山鼻の2兵村と、江別太、篠津太の2試験地に設置・・・ (続きを読む)
琴似屯田兵 3 (屯田兵の由来)
「屯田兵」という制度は元々日本のものではありません。 「屯田」という名は中国からきたもので、漢の武帝が中国の西域地に田卒という名の兵士を置き、その地に駐屯させ外敵を防ぐ「屯田」の設置をしたことに始ま・・・ (続きを読む)
十勝の旅 3 (道づくり第一号)
寛政11年(1799)、東蝦夷地が幕府直轄となり、近藤重蔵は、その前年に下見巡察として国後・択捉島を見分し択捉島に「大日本恵登呂府」の標柱を建てました。 ロシアの南下政策を防ぐには、ネモロ(根室)・ク・・・ (続きを読む)
鉄路の旅 3 (士別軌道)
大正6年、天塩軌道会社創立発起人の大久保虎吉らによって士別―上士別間の馬車軌道敷設が出願されました。 士別御料地に属していた天塩川上流地域の山林は、明治末期から大量の良材が伐採されていました。 大正8・・・ (続きを読む)
北海道の草花 (キヌガサギク)
市町村の紹介に「札幌市の旅(キヌガサギク)」を加えました。 道内では良く見かける草花です。 しかし、この花は北アメリカが原産で、北海道に導入されたのは1974年でした。その後野生化したものです。 &n・・・ (続きを読む)
十勝の旅2 クナシリ場所
国後目梨のアイヌ蜂起 十勝の沿岸を和人が頻繁に通るようになったのは1785年(天明5)からです。 1773年(安永2年)に松前藩より、商人・飛騨屋がクナシリ場所での交易を請け負うようになり、労働力とし・・・ (続きを読む)
北海道の草花 (桜草)
市町村の紹介に「札幌市の旅(さくらそう)」を加えました。 栽培の歴史 江戸時代の中ごろから、野生のサクラソウから本格的な栽培が始まったといいます。白、桃、紅、紫、絞りなどの色変わりや、大小さまざまな花・・・ (続きを読む)
琴似屯田兵 2
札幌市西区琴似の商店街に「琴似屯田兵の兵屋」が保存されています。 現在は地下鉄東西線琴似駅とJR函館本線琴似駅をつなぐ商店街になっています。 「開拓使最初の屯田兵」に以下のような記述があります。 「・・・ (続きを読む)
琴似屯田兵 1
「琴似屯田兵」のコーナーを、「北海道市町村の紹介」に入れました。 連載で書いています。 東北藩の処分 明治4年、廃藩置県が行われ幕府時代の藩から県に変わりました。 明治8年「札幌郡琴似村屯田兵」の・・・ (続きを読む)